教会の扉が開く。
男はバージンロードを駆け抜け、花嫁の手を取る。
「お前は、俺が幸せにする。俺と一緒に行こう」
花嫁はうなずく。
集まる出席者たちの視線を尻目に、ふたりは教会を飛び出した――
********
ユウジは目を覚ます。
「またあの夢か・・」
いつのまにか23時を回っている。うたた寝をしてしまっていたらしい。やはりひとりで寝ると、あの日の夢を見てしまう。
2年ほど前。
まるでドラマのような出来事が自分の身に起きた。
「起こした」のではない、「起こされた」のだ。
つまりユウジの配役は、「花嫁を奪った男」ではなく、「奪われた男」だった。ドラマでは教会を飛び出した2人のその後を美しく描くが、「奪われた男」のその後は悲惨なものだ。
式の出席者に謝罪し、友人からは哀れまれ、「彼女に男の影はなかったのか?」と親族からの事情聴取が始まる。
何より悲惨なのは、今の自分だ。
忘れられないこのトラウマのせいで、人を好きになる事ができなくなってしまった。先日、後輩に言った「男ってのは、女に騙されるために生きてるんだぜ?」というセリフは、自分に言っていたのかもしれない。
ヴヴ
携帯が鳴る。このバイブ音はLINEか。
そうだ、女性を家に呼んであるのだ。
好きになれなくなったとは言っても、性欲はちゃんとある。それになぜか女性と一緒に寝ると、あの夢を見なくてすむ。
ユウジは合コンに繰り出しては、“大人な関係”を作り、こうしてほぼ毎日不特定多数の女性にLINEを送り、予定が合った相手を自宅に呼んでいるのだ。
「き」と入力するだけで「今日は泊まりに来ないの?」という文字列が予測変換で出るユウジの携帯は、彼以外には便利でもなんでもないだろう。
来ていたLINEを見ると、思わず溜息が漏れた。
「キョウコ:師匠、あと5分でつくよー!」
今日来るのはキョウコだったか……。
もちろん、一回きりで連絡が取れなくなる子もたくさんいる。最近だと、同棲中の彼氏とセックスレスだと言っていた、たしか、マキという子だ。だがユウジは、去る者は追わない。何故なら彼は、合コンで女性を持ち帰る事に絶対の自信を持っているからだ。
①一次会は大人の振る舞いで、年上の魅力をアピールする
②カラオケにて王様ゲームなどで盛り上がる(最悪でもキスまではする。その反応で持ち帰れそうな女性をある程度選別しておく)
③ホテルのシェフという仕事を生かした殺し文句「うちで飲みなおさない? 帆立が手に入ったから、マリネにでもするよ」で家に誘う
以上が、ユウジの常套手段だ。人によってはマリネの部分をカルパッチョに変えたり、「料理でも教えようか?」に変えたりする。後者の文句に食い付いてきたのが、キョウコだ。
この言葉はあくまでタテマエだ。それは誰でもわかる。しかしキョウコは、そうはいかなかった。その瞬間からユウジのことを“師匠”と呼びだし、この3か月、夜遅くに家に来てはただ一緒に料理を作る。日によっては3時、4時まで。女子大生の21歳という若さは、40歳のオヤジにはほとんど凶器だ。
体の関係などまったくない。ただ朝まで料理を作り、平らげ、2人で何もせず眠るだけ。
「今日は泊まりにこないの?」のLINEに誰も引っかからなかったときは、仕方なくこちらからもキョウコを誘う。
疲れるが、あの夢を見るよりはマシなのだ。
「おっじゃましまーす!」
キョウコの元気な声が部屋に響く。
「相変わらず元気だな~お前は」
「師匠こそ相変わらずオジサンですね~」
「誰がオジサンだ」
ユウジは師匠と呼ぶ割にはナメ腐った態度を取るキョウコの鼻をつまんだ。
「すびばせ……クチュン! クチュン! クチュン!」
こうするとキョウコはくしゃみが止まらなくなるのだ。ユウジはフフン、と勝ち誇ると、料理の準備を始めた。
「だめです! 私が作るの! 師匠は横で見ててください!」
「俺が師匠なんだから、普通は逆だろ」
そう言いつつ、ユウジは従った。キョウコが料理を作り、ユウジは横から指示を出す。これが3か月でたどり着いた、2人の"修行"のやり方だ。
とは言っても、指示を出すことはほぼない。キョウコはミスをしないのだ。
聞くと、「次回はこれを作ろう」と決めた料理を家で試しに作ってみているそうだ。だったらここに来る意味はほとんど無いのだが…。
こうするともっと美味くなる、などのアドバイスはする。しかし、基本手持ち無沙汰なユウジは料理中のキョウコにいたずらを仕掛けたり、くだらない質問をすることを楽しんだ。先ほどの鼻つまみ攻撃も、その賜物だ。抱くわけでもなければ、料理しかしないキョウコを家に招く理由は、単純にこのやり取りを楽しんでいるからだ。
あれは先週だったか、たくさんの料理を作るキョウコに、シェフにでもなりたいのかと質問してみた。
「いやいや、そんなんじゃないですよ~」
「だってお前、そうでもなきゃこんな一生懸命やらんだろ」
「ん~…好きな人に、料理を作ってあげたい…とかどうですか? 私にぴったりのかわいい理由じゃないですか?」
調子に乗るキョウコにイラついたユウジががくすぐり攻撃をしかけると、
「やめてください~!」
と暴れるキョウコの持つ包丁が鼻先をかすめた。ユウジは料理中のくすぐり攻撃はやめよう、と心に誓った。さすがにこんなことで人生を終わらせたくはない。
今日も手際よく料理を作るキョウコを眺めがら、ユウジは考えた。
好きな人、か。
キョウコに、もしそういう相手がいるなら、彼女を泣かせるようなことだけはしないでほしい。キョウコは、いい子だ。美人で、明るくて、キラキラしている。
恋をすれば傷つくこともあるだろう。でも自分のように、恋愛自体が出来なくなるようなことにだけはなってほしくない。
自分にだって娘がいてもおかしくない年だ。父親というのは、こういう気持ちなのだろうか。
「師匠って、夢とかあります?」
野菜を切りながらの急な質問に、ユウジは戸惑った。
「え? 夢?」
「そ。夢」
絶対にバカにされるとは思いつつ、ユウジは本音を話した。
「本当の、恋をすることかな」
「ちょっと…おじさんが何言ってるんですかー!」
案の定、爆笑するキョウコに腹を立てたユウジはくすぐり攻撃を仕掛けようとしたが、思いとどまった。暴れるキョウコの包丁が直撃すれば、自分の人生最後の言葉は「本当の、恋をすることかな」になってしまう。それはさすがにキツい。
「じゃあお前は? お前の夢はなんなんだよ」
とっさに質問を返したユウジは、報復のため笑う準備をした。
「私、好きな人がいるんです」
質問とは若干ズレた答えに、ユウジは肩透かしを食らった。ただそれ以上に、相手のことが気になったユウジは、矢継ぎ早に質問した。
「ど、どんなやつだ? 大学の友達か? 変な男じゃないだろうな?」
もはや父親のようだ。
「んー、すっごい遊び人でー、」
「ダメだ! そんな男は許さん!」
「師匠、お父さんみたい」
またもや笑うキョウコにユウジは説得を試みる。
「お前には傷ついてほしくないんだ。そんな奴好きになってみろ、トラウマで恋愛自体できなくなるかもしれないぞ。……俺………みたいに」
「私の夢はね」
自分の実体験でトラウマの恐ろしさを伝えようとするユウジに、キョウコはお構いなしに続ける。
「好きな人に、料理を作ること」
「ダメだ! 俺はな、そんなやつに作るために料理を教えたわけじゃない! 傷つくとわかってるんだから…」
「だからね、もう叶ってるの」
「!?」
「叶ってるの。今」
「??」
「ちょっと待て、じゃあお前……」
********
その日キョウコが作った料理は、死ぬほど不味かった。聞くと、告白の緊張で全品砂糖と塩を間違えたらしい。
「あ~あ。師匠の前ではミスしないようにしてたのになぁ」
「お前もまだまだだな。それに、遊び人が相手なんて絶対ダメだ」
「やっぱり師匠は…お父さんみたい。私のこと、娘みたいに思ってる…よね?」
寂しそうにつぶやくキョウコに、ユウジは言った。
「また料理、習いに来いよ」
「うん……」
キョトンとするキョウコをユウジは抱きしめた。
本当は気づいていた。キョウコに対する気持ちは、父親のそれではない。キョウコといる時間は、体の繋がりが無くても幸せだ。この関係を壊したくなくて、自分の気持ちを誤魔化してきた。
そして何より怖かった。誰かの心に踏み込むのも、踏み込まれるのも。自分はたくさんの女性と関係を持つことで、寂しさを紛らわしていた。そんな自分に、キョウコは踏み込んできてくれた。あんなに顔を真っ赤にしながら。
もう一度だけ、恋をしよう。キョウコとたくさん料理と思い出を作ろう。きっとその間に「き」の予測変換は、「今日は泊まりに来ないの?」から「キョウコ」に変わっているはずだ。
過去の作品を見る場合は下記URLから!
・【酒井啓太 恋愛小説vol.1】君を心から愛してる。だから僕は浮気をする
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