1964年5月4日から始まり、半世紀以上の歴史を誇った東海テレビの昼ドラが、ついにその幕を閉じる。輝かしい歴史と変遷、そして昼ドラへの思いについて、最後の昼ドラを担当する市野直親プロデューサーに聞いた。
'64年10月10日に東京オリンピックの開幕を控え、在京テレビ局は各競技の中継に、ドラマの撮影スタッフも駆り出され、人手不足に陥った。
そのため、フジテレビから系列局の東海テレビ放送にドラマ制作の依頼があり、その後52年の長きにわたる「昼ドラ」の歴史が始まった。
当時は、民放各局で昼ドラが作られ、最後発の東海テレビは、円地文子原作、水野久美主演の『雪燃え』の文芸路線でスタート。当時はモノクロで、月~金曜、1話15分の放送だった。
番組がカラー化されたのは'72年、渡辺美佐子、小野寺昭が共演した『むらさき心中』から。放送時間が30分になったのは'76年で、藤田弓子主演の『三日月情話』からだ。
214作目となる最後の昼ドラ『嵐の涙~私たちに明日はある~』の市野直親プロデューサーは、子どものころから昼ドラ好きだったそうで、志垣太郎主演の大ヒットドラマ『あかんたれ』や、藤吉久美子と宅麻伸が共演した『しのぶ』は今でも主題歌を歌えるほどだとか。
「毎日30分、起承転結をつけて、情報番組やバラエティーではできない、フィクションならではの心の動きを娯楽としての劇として描き出すのが“昼ドラ”なんです。
1週分5本、時間にすると、およそ2時間半あるわけですけど、それを5つに分けるのではなく、1本30分の中に毎日、山場を入れてドラマを作るんです。そして、必ずしも週単位で展開を考えているわけではなくて、3本ずつという作り方をする場合もあるんですよ」
昼ドラには、さまざまなジャンルがあるのが特徴だ。
「'70年代には『あかんたれ』『ぬかるみの女』『がしんたれ』など根性ものが人気でした。そして'80年代後半に話題となった『愛の嵐』『華の嵐』『夏の嵐』は“グランドロマン”と呼ばれますが、その流れは'85年に放送された『しのぶ』からもう始まっているんですよ。僕としてはこの4作が“嵐シリーズ”だと思っています」
世界の名作をモチーフにした作品も。
「この嵐シリーズは当時、女子高生がハマって、“ごきげんよう”と挨拶することが流行したそうです。もともとは『嵐が丘』や『風と共に去りぬ』などをモチーフにした波瀾万丈の物語なんです。
'88年放送の『愛無情』は『レ・ミゼラブル』がモチーフですけど、パンじゃなくてお茶を盗むところから始まるんです。そうした世界の名作を日本に置き換え、身分違いの恋であったり、欲しいものが手に入らない悔しさだったりなど、日常ではちょっと想像できない世界が展開していました」
時代に合せないのがヒットする秘訣だと語る。
「それはお客さんに楽しんでもらいたい、という気持ちから出てきたもので、その時代に合わせて作っているわけではないんです。時代に合わせるとどうしても後追いになりますからね。
いつも上司や先輩からは“世に問いたいものを作れ”と言われ、それが時流に乗るとヒットするんです。作る側がやりたいことを愚直に作ることで、それが世に出たとき、ほかにはない作品となるんだと思います」