No.1から幸せな“寿引退”のはずが……
久田はインタビュー中、幼少時代の記憶を、驚くほど鮮明に語った。祖母や当時の大家の人柄まで鋭く見抜いて。
この並はずれた記憶力と人間観察力が、ホステス時代の最強の武器になった。
「銀座は女優みたいにきれいなホステスがごろごろいて、私なんかブスのほう。だから、そのぶん、努力した。お客さんの席に着いたら、30分以内に何を求めているかを見極めるの。聞き役に徹したほうがいいとか、女性らしさを求めてるとかね。経済や政治の話も出るから、新聞も読んだ。漢字が読めないから、電子辞書を買って勉強してね」
源氏名は『浅井花子』。憧れのお姉さんホステスの名字をもらった。
客あしらいは日増しに上達し、次々に指名がかかった。ひと晩に数百万も店に落とす上客を何人もつかみ、ほどなくNo.1にのぼりつめた。
「お客さんをたくさん持ってるから、ほかの店から何度も引き抜かれてね。和服姿で初出勤すると、お客さんから届いた胡蝶蘭が店頭にずらっと並ぶの。気分よかったなあ」
ぜいたくが身につき、豪華な宝石や、高額なチンチラの毛皮も右から左に買った。
しかし、夢のような日々は、突然、終わりを告げた。
「バブルがはじけたの」
黒服に確認すると、不動産業の常連客のツケが2000万~3000万円もたまっているという。
「真っ青になって電話したけど、もうつながらなかった。踏み倒された! って気づいたときは、あとの祭りよ」
客の未払い金は、担当ホステスが肩代わりするのが銀座の掟。毛皮や宝石を質屋に売って、店に穴埋めをした。
これに懲りて、転職も考えた。しかし、学歴がない久田は、この世界で生きるしかなかった。その後、新宿歌舞伎町に拠点を移し、ちょっと本気を出したら、すぐにNo.1になれた。
けれど、20代を迎えて数年が過ぎたころから、「しおどき」を感じ始めたという。
「上客をホステス同士で取り合うのにも疲れたし、モデルの卵みたいな若い子が次々に入ってきて、そのたびにヤバい! って不安になってた」
No.1を死守する重圧に耐えかね、精神安定剤に頼る回数が増えていった。
ふつうの幸せが欲しい。切に願った。
「だから、選び違えたのよ」
店の客と結婚したのは、25歳のとき。貯金をはたいて家具を買いそろえ、大阪に新居を構えた。
「得意の料理を作ったり、花に水をやるような、夢にまで見た生活ができるって、そりゃ大喜びで嫁いだわけ」
ところが、結婚生活は悲惨なものだった。
夫の言葉のDVに精神的に追い詰められ、眠れない、食べられない日々が始まった。体重は30キロ台に落ち、見る影もないほど、ガリガリにやせ細った。
「最後は警察に助けられ、着の身着のまま、東京行きの新幹線に飛び乗ったの」