介護がきっかけでパソコンに夢中に
退職する前のある日、事件が起こった。
若宮さんはずっと母の鶯子枝さんとふたり暮らしだった。父は早くに亡くなり、兄たちは結婚して独立したからだ。いつも通勤に使っていた東海道線が事故で遅れていたため、帰宅が2時間ほど遅くなると、当時90歳近かった母に電話を入れた。
ところが、家に着くと鶯子枝さんがいない。近所を必死に探し回り、困って警察に駆け込むと、自宅から4キロ離れた場所で保護されているという。鶯子枝さんは見知らぬ家の前で「娘が死んじゃった」と泣いていたそうだ。
「ボツボツ認知症の症状が出始めていたんですが、これはちょっとヤバいなと。退職したら、なるべく家にいないといけないなと思いました。
私、おしゃべりでしょう。おまけにお出かけ好きだから、どうしようかなと思って。本を読んでいたら、パソコンがあればオンラインでチャットができると書いてあったので、パソコンを買ったんです」
素人でも操作しやすいWindows95が発売される前のことだ。メーカーに電話をしたり、販売店で聞いたりしながら、インターネットに接続するのに3か月かかった。
「ちょうど暑い日でね。“ようこそ”というメッセージが出てきたときは、汗と涙でもうウルウル。思わず涙が出たくらいうれしかったですね」
お目当てはシニア向けの全国ネット「メロウフォーラム(現メロウ倶楽部)」。いわばインターネット上の老人会で、掲示板やチャットでの交流のほか、地域ごとにオフ会も盛んに行われている。
「人生、60歳を過ぎると面白くなりますよ」
70歳の会員が送ってくれたウエルカムメッセージに大いに勇気づけられた。
「そこではなんでも本音で語り合えるんです。俳句の部屋とか、生と老の部屋とか、テーマごとに掲示板があって、自分がどうやって年を取って病気になって死んでいくか、先輩たちが身をもって教えてくださることもあります」
ときに、メンバーからこんな書き込みがある。
《長いこと世話になったな。今日はやっと3行書けたけど、明日、何も書かなかったら俺は死んだと思ってくれ》
しばらくして自宅に問い合わせると、書き込みをした後、昏睡状態に陥り、亡くなったと告げられたという。
若宮さんは毎朝、パソコンを立ち上げるとメンバーに挨拶。チャットでおしゃべりを楽しみながら、10年近く在宅で介護を続けた。
次兄の和夫さんがときどき手伝いに来てくれたし、デイサービスやショートステイを利用したとはいえ、「さぞ大変だったでしょう」と聞くと、意外な言葉が返ってきた。
「取材の方は、みなさんそうおっしゃるし、苦労したに違いないと書かれることもありますが、そんなに困ったことは思い出せないんです。母は物忘れがひどくなり、探し物ばっかりしていましたが、忘れるっていうことは、いい面もあるんですよ」
例えば、カボチャを煮る。次の日に残ったカボチャを出しても、
「あら珍しい。美味しいわ」
と、喜んで食べてくれたそうだ。
「私は不良介護人ですから、パソコンをやってて面白くなったらもう夢中でやるでしょ。気がつくと外は真っ暗で、“いけない、おばあちゃん(鶯子枝さん)にオヤツあげるの忘れてた!”とか、しょっちゅう(笑)。それでも100歳まで長生きしたんですから、いいんじゃない?」