100冊目の偉人伝で出会った将来の夢

 1943(昭和18)年、東京都新宿区に生まれる。両親は和服製作と直販を営んでいた。妹が1人いる。小学生のころはいじめられっ子で、図書室に逃げ込む日々だったという。

小4のころ、妹さんと(右)。同じころ学校ではいじめられ子だった(左)
小4のころ、妹さんと(右)。同じころ学校ではいじめられ子だった(左)
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「いじめは克服できませんでした。いじめっ子は確信犯ですからね。でも図書室までは追いかけてこないし、そこに自分の世界があるから、いいやってあきらめていました。一種の逃げですね。

 でも僕は人生において、つまらないこと、怖いこと、ひどいことからどんどん逃げていいと思っています。360度開いているのだからここしかないと思わなくていい。どこへ行ってもいいんです。逃げれば自殺することもない」

 吉村さんが司書の先生にどんな本を読めばいいか相談すると、「偉人伝を1~100まで全巻読んで、その中でいちばん気に入った人のまねをしたら、その10分の1くらいになれるのでは?」と助言された。

「ずーっと読んで、最後の100巻目がツタンカーメンの墓を見つけたイギリス人考古学者、ハワード・カーターでした。

 私は夢中になって読むと、古代エジプト遺跡の魅力とその発掘にかけるロマンに惹きつけられていました。将来はエジプトで発掘をするぞ! と心に決めたのです。これがエジプトとの長い付き合いの始まりでした」

 先生は「君が大学に入るころには、エジプトへ行けるかもしれないから、いい大学へ行き、考古学者になればいい」と勉強の指導もしてくれたそうだ。

 当時、競争率30倍以上の東京学芸大学大泉付属中学校に合格し、進学した。

「父も母も職人で高等小学校しか出ておらず、学校のことはわかりませんでした。

 エジプトへ行きたいと言ったら、“いつ行くの?”“いくらかかるの?”としか聞かなかった。あーしろ、こーしろと言われたことがないんです。僕の言うことをいつも尊重してくれました

 高校では、エジプトでヒッチハイクの旅をすることになるだろうと中国語とアラビア語を勉強し、身体を鍛えるために山岳部にも入った。ゼスチャーも必要と思い、パントマイムや演劇にもいそしんだという。

「一方で勉強も一生懸命して東大を受験しました。ところが4回落ちました