「燃えたあの家は、以前はよし子のおじが住んでいたんです。15年ほど前におじが亡くなり、よし子さんが母親と2人で越して来たんですよ。父親は元からいなくてねぇ、母親が約6年前に他界してからは、ひとり暮らしでした。2年半前に自転車で転倒して骨折してから足を悪くしてね。心配なので、1~2か月に1度は見に行っていました」
と地域の民生委員の男性。
生活保護を受給していた
2人の暮らしは、母親によって支えられていた。
「若い時分は地元の旅館で働き生計を立てていて、亡くなる直前は畑で野菜を作ったり、仕事を手伝いに行ったりして、やりくりしてました。よし子さんの働き口を何とかしていたのもお母さんでした。
よし子さんには少し常識が足らないというか、ピントはずれなところがありましたが、お母さんがちゃんと導いていたんですよ」
そう振り返る近所の主婦は母親が“よし子にはもっと節約させなくちゃ”と話していたのを記憶している。そして、
「お母さんが亡くなってからですよ、よし子さんの生活がガラッと変わったのは」
と付け加える。
心配した近隣住民が手続きを手伝い、2年ほど前からよし子さんは生活保護を受給していた。近所の人は、きちんとした暮らしを期待したのだが……。
「以前は近くにコンビニがあって、よし子さんがよくジュースやタバコを買うのを見ました。お金が入ったら使っちゃうから、ちゃんと管理しなきゃだめだと話したこともありました」(同・民生委員)
前出のいとこの女性も、
「私や私の親からも金を借りて返さなくて……。母から“よし子とは縁を切ってもいい”と言われたんですが、最後の引き取りは私がするからと、縁をつないでいたんです」
と振り返る。ケガで働けずお金がなくなるとよし子さんは地域の絆に甘えた。
「“お金を貸してほしい”とうちに来て言うんです。断ろうとしたら主人が、かわいそうだからと言うので、あげるつもりで5000円を渡しました。結局、返してもらっていませんが……」(70代女性)
前出・民生委員は、
「たけのこの時期になると“いつもお世話になっているから1000円で持っていっていいよ”と電話があってね。しょうがないと思いながら掘りに行って、2000円を置いてきました。同じ地区に住んでいる人間ですから、何かあったら力になってあげたい。地域の人はみな、よし子のことを心配していたと思いますよ」