ものを作るやつの言葉なんて、あんまり信用できませんよ
約60年前に俳優の世界へ飛び込み、振り幅の広い演技で、今でも第一線で活躍し続ける山崎。しかし、俳優を志した理由を、
「会社勤めはまず向かないと思ってね。でも、そんな立派な考えがあって入ったわけじゃないんですよ」
と話し、こう振り返った。
「なんだかいろんな偶然が重なって、何もわからずに憧れて入っちゃった感じですね。演劇青年でも、文学青年でもなかったし、単なる普通の高校生、苦学生だったわけで。それほど辻褄(つじつま)が合った志願じゃなかったんです。でもやってるうちにね、やることが出てきて。面白いというと変だけど、熱中するようになって。だから最初はその程度でした、俳優に対する思い入れって。だいたいね、ものを作るやつの言葉なんて、あんまり信用できませんよ。守一さんもそうだけど、あてにならないんだよ(笑)」
そう冗談まじりで話す山崎は、黒澤明監督の『天国と地獄』で脚光を浴びるなど頭角を現し、デビューから着実に俳優としての階段を駆け上がっていった。
ちなみに、映画の舞台である1974年、当時38歳のころの俳優人生を振り返ってもらうと、こんな答えが。
「当時は『必殺仕置人』の撮影で、京都まで週に3日くらい通ってたのかな。あのとき僕が演じた“念仏の鉄”が評判よくて、人気あるんだよ。実は今でも鉄はパチンコのキャラクターになったり(笑)」
念仏の鉄は'77年放送の『新・必殺仕置人』でも再演。同じ役を演じたがらない彼にとっては、例外中の例外の役だった。
「『仕置人』の撮影自体は楽しかったんだけどね。同じ役と付き合っていくのが苦手で、飽きちゃうんですよ。だから途中で足を引きずってみたり、髪型変えたりしてね、キャラクターをいろいろ変えて、退屈を紛らわせてたんです(笑)。
でも今も、事あるごとに鉄の名前を挙げていただくんですよ。いろいろ映像の仕事やってきたけど、みなさんからそこまでおっしゃっていただくと、念仏の鉄が僕の演じた役の中で、代表作なんじゃないかなって。何かそう思えてきちゃいますよね」