7月8日(日)から大相撲・名古屋場所が始まる。
サッカー・ワールドカップにも負けない熱い戦いを期待したいが、大相撲は勝敗だけにはとどまらないスポーツ性を越えたところにも魅力がある。
「大相撲はスポーツであり、興行であり、また神事でもある」というフレーズ、聞いたことがあるだろうか? でも、スポーツなのに「神事」って一体どういうこと? と不思議に思うかもしれない。
たとえば、大相撲が神事であることの表れには四股がある。四股には大地の邪気を鎮めるためという「祈り」の意味がある。
また年6回の場所ごと、開催前日に「土俵祭」が行われる。これは行司が祝詞を読み上げ、米や昆布などを皿に入れて紙で包んで土俵中央に埋め、お浄めのお酒をまいて土をかぶせる、実に「神事」な儀式。
それにしても大相撲の「神事」という側面は、一体、誰がいつ作ったのか。
相撲には1200年以上の歴史がある
それを知るのに役立つ興味深い展示が今、両国・国技館に併設された「相撲博物館」(入館無料、開館時間は10時~16時半)で開かれている。
『七夕と相撲』(8月10日まで)と題されたその展示では、平安時代の7月7日に宮中行事として始められた「相撲節(すまいのせち)」を足掛かりに、いにしえの相撲の起源について掘り起こしていく。
今回の展示を企画した相撲博物館の学芸員、中村史彦さんにその辺りのこと、詳しく伺ってみた。
「相撲節は平安時代に行われた宮中行事です。それが7月7日に行われていたということから、今回の展示を企画しました。
その頃、宮中行事として相撲をやるとなると、日にちの選定が大切でした。旧暦の7月7日というと、現在の8月上旬から中旬頃。ちょうどコメの収穫の少し前にあたります。当時の相撲には今年は豊作か否かを占い、また同時に豊作を祈る、あるいは感謝するという意味合いがあり、それでこの時期が選ばれたようです。
さらに7月7日というまさにこの日に天覧相撲を行う理由が必要となり、そこで登場するのが『日本書記』に書かれた、日本で最初に相撲を取ったとされる野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)の戦いです。
ふたりは垂仁天皇の命で、相撲を取ります。勝ったのは野見宿禰で、当麻蹴速は腰を折られて死んで敗れました。これが最初の天覧相撲であるとして、その日を7月7日だったと決めることで、相撲節は7月7日に行われるようになりました」