外山アナが感心した永さんの話芸

 家族だけでなく、仕事仲間にも偉そうに接することはなかった。TBSラジオの番組『永六輔その新世界』と『六輔七転八倒九十分』で、16年にわたってアシスタントを務めたアナウンサーの外山惠理は、1度も怖い思いをしたことはないと話す。

「この世界で有名になると、どうしても“威張っているオーラ”が出てくるんです。自分だけが頑張ってきたような顔をする人もいましたが、永さんは違いました。本当に何でも知っていて何でも答えてくれましたが、知らないことに関してはバカにしたりしない方でしたね。“何でも知っていますね”と伝えたら、“僕が知っているんじゃなくて、いろんな人から教えてもらったことを言っているだけ”と言うんです。この方はすごいなと思いました」

私生活でも仲のよかった永さんと外山アナ。“前世があるなら身内だっただろう”というほど信頼していた
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 彼女が感心したのは、永さんの話芸だった。

「毎週、ラジオでもプライベートでも会っていましたが、同じことを何度話しても面白いんですよ。同じ話をいろいろな人にすると、いらないところが削(そ)ぎ落とされて半分ぐらいになるんだと話していました。今までにいろいろな方と会ってきた中でも永さんは別格の方ですね。番組でも4時間半の間、1度も退屈したことがなかったんです」(外山アナ)

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 放送作家としてテレビの草創期に活躍したが、大好きなのはラジオだった。だから、千絵さんは最近のラジオについて悲しく思うことがある。

「一方通行な方が多いなと思います。父は聞いてくださっている先に行って、そこで見聞きした話をもう1回持って帰ってきて、自分の話として出すという手間を惜しまない人でしたね。東京のスタジオでしゃべるだけでは納得がいかなかったんだと思います。知ったかぶりをすることをすごく嫌がる人でした。でも、私が映画の話をすると、きちんと聞いてくるんです。年は関係なく、自分が知らないことに関しては“そうなんだ”と、すごく興味を持って話を聞こうとする人でしたね」

 外山アナも、永さんの知りたがりっぷりを見ている。

「怠けるということをしない人でしたよね。ちょっとでも時間が空くと映画を見に行ったり、展示会に行ったり。電車の中でも一般の人の話をよく聞いていたから、カップラーメンが1ついくらとか細かいことを知っていました。最後まで手書きだったし、携帯も持たないからスマホを見せると、“便利だね”なんて言っていましたが、辞書を引いて図書館に行くことにこだわっていましたね」