古舘プロジェクト所属の鮫肌文殊、山名宏和、樋口卓治という3人の現役バリバリの放送作家が、日々の仕事の中で見聞きした今旬なタレントから裏方まで、TV業界の偉人、怪人、変人の皆さんを毎回1人ピックアップ。勝手に称えまくって表彰していきます。第52回は鮫肌文殊が担当します。
立川志らく 様
その男は危険極まりない男であった。口から飛び出してくるのは師匠・立川談志譲りの放送禁止用語満載のトーク。スタジオ収録の番組なので、あとでピー音をかぶせてくれるのを見越してガンガンにヤバいフレーズを連発する。ドン引きする女性客を尻目に、拍手喝采で爆笑するディープな落語好きの男性客。
「この人、ものすごく頭がいいか、放送コードをまるでわかってないホントのバカか、どっちかだ」
伝説の落語バラエティ『平成名物TVヨタロー』(TBS・1990年~91年)という番組で、立川志らくを初めて目撃した時の正直な印象である。
その時、まだ駆け出しだった私は、事務所のチーフ作家・腰山一生の構成する『ヨタロー』のスタジオ収録を見学していた。
「お前、そんなことばっか言って放送できないだろう!」
コンプライアンスがゆるゆるだった当時のバラエティ界でさえ完全にアウトな発言を繰り返す志らくを横でたしなめる男、立川談春。『ヨタロー』において立川志らくと立川談春の二人は立川ボーイズとしてメキメキと売り出し中であったのだ。
それから1年後。テレビ東京の深夜枠の情報番組の構成を担当することとなった。私が初のチーフ作家を務めた番組。司会はノリに乗っていた立川ボーイズを抜擢(ばってき)。
鉄棒にセクシー女優を逆さにぶら下げ、落ちずに耐えた秒数だけ出演ビデオの告知ができるという私考案の鬼畜なコーナーで、裏番組の『北野ファンクラブ』(フジテレビ・1991年〜96年)に視聴率で1回だけ勝ったことがあるのが自慢であった(ちなみに本連載担当の山名宏和も私のサブとして横に張りついていた)。
毎度毎度、放送コードギリッギリの内容。私にとっても立川ボーイズにとっても青春時代そのものだった番組。楽しかったなあ。