力士の到着を知らせる町内放送
「乙亥大相撲に出ると出世するって言われてます! 実際、曙が大関の時に出て、『次は横綱になって戻ってきます』と言って、本当に横綱になって戻ってきてくれたんです。
昨年は輝(かがやき)が来てくれましたが、彼は幕下時代にも来てくれていたので『達(幕下時代のしこ名)から輝になって戻ってきました!』って言って、会場中が『輝~!!』と大声援にあふれかえったんです」
そう興奮気味に話してくれたのは、山口さんのお手伝いをしている野村町在住の赤松優子さん。物心ついた時から乙亥相撲を見る、大の相撲ファンという筋金入りのスー女だ。赤松さんによると、
「関取が飛行機で松山空港に着くと、町内放送で『◯◯関が今、空港に到着しました』と流れるほど、町中が盛り上がります。
地区対抗戦が開かれて、毎年、子どもから大人まで100名以上が参加しますが、みんな本気! 3か月ぐらい前から各地域それぞれが稽古を重ねて臨みます。野村町には地域ごとに土俵があるんですよ」
ええっ? 町の中に何か所も土俵がある? どれだけ相撲が好きなんですか!?
「元々は願掛けのために33番相撲を取る、というものだったんです。それが養蚕で町がにぎわっていた時代に周辺から強い力士を呼ぶようになって、戦後からは大相撲の力士を招待するようになりました。
大会前日には触れ太鼓が鳴り、相撲場ではご祝儀が飛び交い、やんよーやんよーの大声援や応援合戦、町中が興奮します。平成17年には乙亥会館ができて、そこに立派な土俵が作られて大会が行われてきたんですが、7月の水害で相撲場の2階まで水に埋まり、今年はそこでは大会が開けません。
毎年、振分親方(元・高見盛)が来て指導してくれて、大なべでチャンコを作ってきましたが、その大なべもダメになってしまいました」(赤松さん)
町を支えてきた伝統ある相撲大会。
多くの関取たち、さらには社会人や中高大学の相撲部も訪れ、ここに出ると出世すると技を競った乙亥相撲。それが今、危機にさらされている。