果敢に挑んだ「欠陥住宅」問題
京子さんの亡き夫、正武さんは高校の国語科教師だった。1952年に22歳で結婚後、転任先に引っ越しをするたび欠陥住宅に悩まされた。戦後の混乱期で、まだ法律が整備されていなかったこともあるが、欠陥があっても不動産業者は説明してくれず、実際に住むまでわからなかったのだ。
丘の上で水圧が弱くすぐ断水してしまう家、配水管がきちんと通っていなかった家、本の重さで床が抜けてしまった家……。いちばん困ったのは、'65年に買ったトイレが使えない家だ。当時はまだ水洗トイレが普及しておらず、バキュームカーによる汲(く)み取り式が一般的だった。その家は細い私道の奥に立っており、汲み取り業者が来たが、ホースが50センチ届かない!
どうしたらいいのかと、その場に座り込んでしまった。ひと晩考えて翌日、幼い息子を連れて江戸川区役所を訪れ、窓口で「暮らせない」と切々と訴えた。
すると、その夜、その家を売った不動産業者が自宅に謝罪に来た。
同じ価格の家を用意すると言われ、うなずきかけた京子さん。ふと相手の顔を見て違和感を覚えた。笑顔を浮かべて罪悪感のかけらもない様子に、自分でも思わぬ啖呵(たんか)を切っていた。
「引っ越すのは嫌です。うちが出たら、また別な人にお売りになるんでしょう。そうしたら、私と同じように困るわよね。この家で住めるようにしてちょうだい!」
汲み取り業者の協力もあり、50センチの延長ホースを自分で用意して汲み取ってもらえるようになったが、それまでは娘の通う小学校のトイレを借りたり、切羽詰まると隣の家に頭を下げて借りたり、苦労を強いられた。
不動産業者の賠償金はお金では受け取らず、私道の舗装をしてもらった。おかげで迷惑をかけた隣近所の人たちと仲よくなれたと、京子さんは屈託なく笑う。