60人分の食事にも手間暇かけて

 ’09年1月、赴いた新天地は神戸。晋さんと親交の深かった当時のGMが育成寮に誘ってくれたからだ。三木谷ハウスは44部屋で45人ものユースと5~6人の若手プロ選手が住む。札幌の倍近い規模となり、ひとりでは回せない。そこでパートさんを雇い、交代制で働く形をとった。

 明子さんの労働環境は大きく変化していた。

「札幌時代は夜だけアルバイトに来てもらっていましたが、基本的に自分が一手に引き受けていたので、休みもなく、夜はお風呂に入って寝るだけ。怒濤(どとう)の日々でした(苦笑)。でも神戸に来てからは朝5時半からパートさんが入ってくれますし、私自身は昼と夜の担当で休みも取れるようになった。少し楽になりました」

 とはいえ、寮に寝泊まりする45人に加え、冒頭のようにトップチームの選手も昼食をとることがある。中学生50人分の夕食デリバリーまで引き受けているから、作る量はすさまじい。ご飯65合をセットして帰宅するのは日課で、ほとんど毎食10~12キロの肉を焼く。60人分の牛すじの煮込みを作ろうと思うなら、60人分の里いもやにんじん、大根の皮むきから着手しなければならない。牛すじは切れる状態になるまで煮込み、余分な脂も落とす必要があるし、コンニャクも下ゆでの段階からきちんとやる。そうやって細部までひと手間かけるのが明子さん流。2時間がかりで完成した煮込みは味がよくしみていて、選手の心まで温めてくれる。

60人分の牛すじの煮込みを作る際も、下ごしらえには手間をかけ、味見をしながら作っていく
60人分の牛すじの煮込みを作る際も、下ごしらえには手間をかけ、味見をしながら作っていく

「寮母になりたてのころから、料理の写真を撮影するのを習慣にしてきたんですが、やっぱり最初のころは下手だったなぁと感じますね(笑)」

 札幌時代から20人分以上、作るのは日常茶飯事。明子さんは日々、料理をしながらベストに近づけるための試行錯誤を繰り返した。その工夫と努力が、練習で疲れきった若い選手たちの表情を笑顔に変えてきたのだ。

 いちばん人気のメニューは、オムライスだという。

オムライスをおいしく作るコツは、卵を焼くときに空気を入れながら、とろけるチーズや生クリーム、マヨネーズなどを入れることですね。ふわふわした卵焼きがおいしさを底上げしてくれると思います。本来ならそれぞれの顔を見ながらケチャップチキンライスも作りたいけど、人数が多いので事前にたくさん作ってジャーにためておきます。ただ、作りためるとご飯がパサついてしまうので、デミグラスソースを直前にかけるほうがおいしく提供できます」

 アスリートの場合、それだけではタンパク質が足りないため、お肉や魚を別に添えることも心がける。

 人気の秘密は、そのバリエーションの豊富さにもある。

「ご飯を炒める調味料にしても、普通はケチャップですけど焼き肉のタレやキムチや高菜を使ってもいいし、柚子(ゆず)こしょう、山椒でアクセントをつけてもいい。あんかけソースやホワイトソースで中華風や洋風にアレンジすることも可能ですね。そうやって組み合わせていくだけで、食べる側も飽きがこない。そういう遊び心を持って作ればきっと料理が楽しくなるでしょう」

 明子さんは声を弾ませてニッコリほほ笑んだ。

 その料理を高校2年生から味わい、この夏に湘南ベルマーレに移籍した神戸ユース出身のFW小川慶治朗も「アッコさんの料理に癒された」という1人だ。

「鶏肉が特においしかった印象があります。スポーツ選手は量を食べないと勝てない。そう思ってご飯は絶対2杯は食べていました。自分はもともとガッチリしてたほうだったけど、アッコさんは線の細い選手に“太り飯”という夜食を作って食べさせてくれたりもして、体重を増やす努力もしていました。みんなのお母さんとして優しく接してくれるアッコさんの存在もあって、僕はここまでプロとして頑張れたのかなと思います

 食べ慣れた明子さんの味から離れ26歳になった彼は改めてありがたさを痛感している。