厳しい稽古のかいあって、'06 年には貴乃花や白鵬などに次ぐ史上4位の若さで三役に。そこからやや伸び悩むも、我慢の相撲で、'12 年には大関に、3度にわたる綱取り挑戦を経て'17 年に横綱へと昇進する。
稀勢の里の母が働いていた会席料理・うなぎ料理『山水閣』の岡田治子さんは当時をこう振り返る。
「横綱就任の祝賀会のあと、うちに来てくれました。とても疲れていたのに、ご本人が“大丈夫”と言ってくださって、50枚近くの色紙にサインをしてくれました」
しかし、横綱に昇進後、左上腕や左大胸筋などを負傷。そんなとき、陰ながら応援したのは母だったという。
「ケガをしてからは、お母さんはまったく気が休まらない様子で……。でも、周囲には番付表を届けたり、一生懸命応援していました。引退を聞いたときは、“やっと気がほぐれた”“ホッとしちゃった”と周囲に漏らしていたそうです。
親としたら当然でしょう。血気盛んに相撲を取るよりも、温かく包み込むような指導者ってほうがよく似合う。これからお部屋ができるのが楽しみだねって話をしましたよ」(後援会関係者)
横綱在位はわずか12場所。それでも、彼の今後の活躍を多くの人が期待している。