ならば、「出されたお茶には手をつけない」というマナーがおかしいことも明白だろう。こちらには「相手の条件を全部のむことになるから」という根拠があるという。さらに「出されたお茶を飲み干すのがマナー」「4分の1ほど残すのがマナー」「すすめられるまでは手をつけてはいけない」など、お茶にまつわる謎マナーは枚挙にいとまがない。
「お客さんがお茶を飲もうが飲むまいが、それは相手の自由。出す側が『飲まなかったら失礼』『飲んだから失礼』と思うほうがマナー違反です。また、『お茶に手をつけない』というマナーを頑(かたく)なに守っていたら、出した側が『おいしくなかったかな?』と不安に思ってしまいますよね」
海外には、マナーについてこんなエピソードがある。
「世界中で“究極のマナー”と言われているのは、イギリスのヴィクトリア女王がとった行動なんです。ある国の王族がフィンガーボウルの使い道を知らずに誤って中の水を飲んでしまった際、女王はその方に恥をかかせないため自分も中の水を飲んでみせたそう。この思いやりによって、その場が気持ちのよい食事会になったのです」(西出さん)
「しきたり」と「マナー」は異なるもの。マナーは「相手のことを思いやる」が大前提なので、状況に応じて変えていい。まさに、ヴィクトリア女王のように。型に固執するのは本末転倒なのだ。
“型破り”と“型なし”は本質がまったく違う
伝統的なしきたりを重んじる世界の代表として、書道家で「デザイン書家」の肩書も名乗る山崎秀鴎さんにもお話を伺った。山崎さんはこれまでに伝統的な書のほかに、『ラストサムライ』や『あの夏、いちばん静かな海。』など、数々の映画や書籍などの題字を手がけてきた。彼の「デザイン書家」という肩書には、特別な意味が込められている。
「映画のタイトルを書く場合、あとでポスターに載り、スクリーンに映り、縮小されたり白抜きになったりします。それらすべてに使える字は、おそらく伝統的な技法だけの書道家には書けません。拡大しても縮小しても白黒反転しても使えるよう、すべてを想定した完成度の高い文字を、私は『デザイン書』と名づけたのです」(山崎さん)
伝統から逸脱した手法を取り入れることも山崎さんはあるそうだ。例えば、『あの夏~』の題字はトイレットペーパーに書いた。半紙では出ない独特の滲(にじ)みを狙ったのがその理由だ。伝統やマナーに縛られた人なら卒倒しそうなエピソードだろう。
「きちんと書の基礎を身につけたうえで、普通の書道家ができないことを私はしています。『確かに見たこともないような書き方だけどなかなかいい字だよね』と書道家にも思わせる説得力を持っているつもりです。“型破り”と“型なし”は違いますよね」
山崎さんの言う「基礎」を「思いやりの心」に置き換えてみると、マナーと通ずるところが多いと気づく。大前提(基礎、思いやりの心)を押さえていれば、あとは時と場合にあわせてどんどん変えていい。まさに伝統やしきたりとの上手な付き合い方ではないだろうか。