亡き妻に誓う“ロック”な最期
悦子が亡くなって間もなく4年の月日が流れる。鮎川は今も悦子とともに生活していた下北沢の家に暮らしている。家の中は当時のまま。何ひとつ変わっていない。
「悦子が用意してくれた安心できる空間でずっと生きてる。4年たつけど、まだ生活のなかに悦子が溶け込んでるいうか、何ひとつ困ることがない。
だから、悦子が死んだあとも旅に出ようとか思わなくて。そういうのわかるかな……」
何も変わらぬ家でギターを弾いていると、今にも悦子がキッチンから顔を覗かせ、
「ホッペを触って」
と言ってくるような気がする。鮎川はそんな悦子がたまらなく愛しかった。
「喪失感に襲われることもあるけど、今はもう死を受け入れてる。やるだけやった。頑張ったね、見守ってねという気持ちやね」
男子厨房に入るべからずを実践してきた悦子が亡くなり、今では鮎川がキッチンで包丁をにぎることもある。
「バンド解散が頭をよぎったこともありましたが、ボクがギター弾かんと、メソメソしたらきっとがっかりする。誰かに言われて作ったレコードは1枚もなくて、自分とシーナで作ったものに誇りをもってるちゅうか。一緒に本気で命をつぎ込んできた音楽。そやけん、目ん玉が黒いうちはぶっ飛ばすよ」
その言葉どおり鮎川は2017年、69(=ロック)歳を記念して全国47都道府県ツアー「47(SHEENA)ROKKET RIDE TOUR」を行い全県踏破を達成した。
「ロックはタイムレス。ストーンズだってチャック・ベリーだって、ロックは今の音楽。心のワンジェネレーション。あのころがよかったじゃない、今が最高」
悦子が亡くなった年の4月7日から始まった「シーナの日」には、亡き妻を偲ぶ仲間が集う追悼ライブを毎年開く。
悦子が亡くなってから、よりいっそう精力的に鮎川はライブ活動に打ち込んでいる。
◇ ◇ ◇
黒い革ジャンを脱いで首筋を伝う汗をぬぐい、再びギターを手にすると鮎川は観客席を振り向いた。
─アンコールナンバー
割れんばかりの拍手が場内を包み込み、スポットライトがステージ中央を照らす。
鮎川はライブのメンバー紹介で、今も亡き妻の名前を呼ぶ。すると不思議なことに、
「私の夢はこのバンドでずっと歌うことです。聴いてください。『YOU MAY DREAM』」
と言った悦子の顔が浮かんだ。元気だった悦子のこれがラストメッセージ。悦子とともに歩んできた「シーナ&ロケッツ」の夢に終わりはない。
(取材・文/島右近 撮影/坂本利幸)
しま・うこん ◎放送作家、映像プロデューサー。文化、スポーツをはじめ幅広いジャンルで取材・文筆活動を続けてきた。ドキュメンタリー番組に携わるうちに歴史に興味を抱き、『家康は関ヶ原で死んでいた』(竹書房新書)を上梓。