「どっちが好き?」何かと比べられがちな野球とサッカー。当事者たちは実際のところどう思っている!? “ガンちゃん”の呼び名でファンから愛された元北海道日本ハムファイターズ・岩本勉さんと、浦和レッズ黎明期を支えた名フォワード・水内猛さんが平成を振り返りつつ、対談で当時を語る!
Jリーグ開幕で競技場が超満員に
岩本「野球とサッカーが不仲だと、メディアが煽っていますよね?」
水内「そうそう! 僕らふたりは平成7年ごろからの付き合いですけど、初めて会ったときから意気投合でしたもんね」
岩本「あるパーティーで騒ぎすぎて、山城新伍さんに“うるさい!”って怒られたくらい(笑)。でも、Jリーグが開幕したときは、たしかに焦りましたよ」
水内「話題性も大きかったですからね」
岩本「当時、僕は日ハムの2軍にいて、寮が多摩川そばの小杉御殿町だったんです」
水内「ヴェルディの練習場の近くじゃないですか!?」
岩本「そう! 目と鼻の先にあったから、尋常じゃない数のファンが練習場に押しかける様子が見えていた。あまりに気になったから練習場に行ってみたら、搬入口が開いていて、中に入ってみたら……」
水内「入っちゃダメですよ!(笑)」
岩本「ハハハ! そしたら、目の前でキングカズが練習していて。ものすごい太ももの筋肉! 練習量もすごくて、“ただの一過性の人気スポーツちゃうな”と悟ったんです」
水内「開幕した当初の盛り上がりは、今でも鮮明に覚えています。もともと僕は、プロサッカー選手として契約したのではなく、三菱の社員選手として契約したんです」
岩本「そうなん!? てことは、普通に働いたりしてたの?」
水内「働いていました。日本サッカー夜明け前の最後の世代なので、競技場にお客さんが全然いない中でプレーしていました。ところが翌年、Jリーグに生まれ変わるや、競技場が超満員になって。“どういうこと!?”って僕らも戸惑ったくらい」
岩本「パ・リーグでプレーしていた僕ら、閑古鳥が鳴きまくっていたもん。平成16年に北海道へ移転するまで、東京ドームが本拠地だったのに! イチロー選手が活躍し始めると、他力本願でお客が集まるようになったんだけど(笑)」