「親孝行で母親にやさしかった。震災直前、いままでにない豪華な誕生日会を開いてくれたんです。自宅のテーブルにごちそうを並べて、魚をさばいて、手巻き寿司を作ってくれて。じいちゃん(税さん)がうらやましがって、でも、それが最後で……」

 と、エイ子さんはそこまで言うと話を止めた。

長男・利行さん(当時43)はお年寄りを助けに行ったまま戻らず
長男・利行さん(当時43)はお年寄りを助けに行ったまま戻らず
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 税さんが話を引き取って続ける。

「毎日のように遺体安置所を訪ね歩き、捜索活動があればそばで見守りました。市役所にすすめられて葬式を出したのが震災の2年後。お墓に入れるものがないので野球のボールを1個入れて。災害だからしょうがねえって言えばそれまでだけれど、なーんか、やりきれなかった」

 津波で壊滅的被害を受けた市内沿岸部では、現在もトラックが土埃をあげて行き交い、盛り土でかさ上げする造成工事などが進められている。

 防潮堤周辺に行方不明者の遺体や遺品が打ち上げられているのではないか、と思って近づこうとするたび現場作業員に怒られるという。

「工事の邪魔になるから来んな! って何回も怒られたもの。実はこういう事情で来たんだって説明しても聞いてもらえない。オレが行くところは全部『立ち入り禁止』の札を立てられてしまった」

 冷たい海の底に利行さんがいるかもしれないと思うと、胸が締めつけられて夜も眠れない。もう少し若ければ潜水士の資格を取って捜索してあげられるのに。若いころから海に親しみ水泳は達者なつもりでいたが、つい最近、温泉プールで泳いでみたら、ちっとも進まなかった、と笑う。

「復興予算の10分の1、いや100分の1でもいいから使って、もう1回、徹底的に行方不明者の捜索をしてもらいてぇんだ。オレみたいにいつまでもグズグズしているのは歓迎されないことはわかっている。でも、復興だ、復興だと言って堤防や道路、高台をつくるのが本当に復興なんだべか」

 再会まで諦めない。