あの日から8年

 2万人近くの死者・行方不明者を出した未曽有の災害から8年。被災地のがれきは除去され、新たなインフラ設備も整いつつある。

 今回、週刊女性が訪れた岩手県宮古市の田老地区では、津波で崩壊した巨大防潮堤が整備され、太陽光発電パネルも設置されて、被災の痕跡はなくなっているように。

 しかし、付近を歩く人はまばらで活気は感じられず……。

 津波で160人前後が亡くなったとされる同・釜石市鵜住居(うのすまい)地区防災センター跡に建設中の「うのすまい・トモス」も、犠牲者を悼む「釜石祈りのパーク」、防災学習拠点などからなる立派なメモリアルパークが完成間近。ただ、近辺に人影は少なく寂しさが漂っていた。

 一部を除き避難区域から解除された福島第一原発近くの飯舘(いいたて)村も、放射性廃棄物が入った土のうが無数に積み上げられていて、人が近づきがたい状況になっている。

 犠牲者や移住を余儀なくされた住民も多いので、人口減少は当然だが、施設ばかりが立派になっただけでは、被災地の復旧は進んでいるとはいえないはずだ。

(撮影/渡邉智裕、吉岡竜紀)