「“ラブストーリーの神様”と言われるけど、違和感があって。いつもつかず離れずの、視聴者からすれば“それって恋なの? どっちなの?”を書き続けてきた28年でした」
と、屈託なく笑う脚本家の北川悦吏子さん。昨年のNHK朝ドラ『半分、青い。』をはじめ数々の名作を世に送り出している、言わずと知れたヒットメーカーだ。
初の月9はうれしくてしかたなかった
その名を広めたのは'92年の『素顔のままで』。
「それ以前も、にっかつ撮影所に勤めながら『世にも奇妙な物語』を何本か書いていて。フジテレビで、プロデューサーから通りすがりに“何かあったら持ってきてよ”と声をかけられて。何本か持っていくと、それはダメだったんですが、1か月後くらいに連絡があって。
“進めている連ドラがどうしてもうまくいかない。女2人の友情もの、北川さんならどう書く?”と。すぐに分厚いプロットを書いたら、決まった。当時の月9は花形。うれしくてしかたなかったですね」
そして大ヒット。翌年の月9『あすなろ白書』で、人気脚本家としての地位は不動のものに。
「本当は原作ものはやりたくなくて(笑)、これだけ。このとき、フジには『愛していると言ってくれ』('95年・TBS)を提案していたんですけどね(笑)」
腎臓の持病があり、高校生のころから無理ができない体質に。
「ほかの脚本家より寡作だと思います。アイデアを形にできるのは10本に1本くらい。だから、作品ひとつひとつへの思い入れが強いのかもしれません」
作品の発想は、何げない生活の中にあるという。
「“手話ってきれいだな”とか“ベビーカーに乗せた娘と目線を合わせると世界の見え方が違うな”とか。日常のリアルからですね」
そして誕生したのが『愛していると言ってくれ』や『ビューティフルライフ』('00年・TBS)。代表作のひとつ『ロングバケーション』('96年・フジ月9)は、
「“結婚式当日に花婿に逃げられた女と、几帳面な男の子の同居”というアイデアは、にっかつ撮影所時代からあって。上司に“企画をくれ、映像化しよう”と言われたけど、“私が脚本家になってからやるのでダメ”と断っていたんです(笑)。当時のタイトルは『それでも私は嫁に行きたい』でしたけど」