ナイス俺!
「ハンカチは、高校時代も練習のときはずっと使っていて。試合で初めて使ったのは多分、夏の甲子園。春は汗をかかないから、選抜では使ってないですね。
最初にその名前を聞いたときは“何だそれ?”“まあ、いっか”くらいでしたが、勝ち進むほどにハンカチが先行し始めて。自分のアイデンティティーが、まるでハンカチにあるかのようになっていったときに“ちょっと違うぞ”と思った」
ただ、試合をするうえでは邪魔にならなかったという。決勝戦の翌日に行われた再試合については、
「再試合になってからのほうが、むしろ行けると思いましたね。何だろう? その感覚はどう言っていいのかわからない。理屈はないんですけど、それはありましたね」
あの甲子園から13年弱。ハンカチを使ったことを、今、改めてどう捉えているのだろう?
「“ナイス俺!”ってすごい思いますよね。ハンカチがあったから、あの大会自体がクローズアップされた。
もしハンカチなしで、ただ単に“早実の斎藤佑樹vs駒大苫小牧の田中将大”だったら、あそこまでは注目されなかったんじゃないかと思う」
たしかに、女性週刊誌がこぞって“佑ちゃん”と騒ぎ立て、追いかけだしたのは甲子園直後からだ。
「ですよね(笑)。自分で言うのも変な話ですけど、ただの野球選手だったら追わないじゃないですか。甲子園での優勝は僕が今、野球ができている状況において、本当に大きな財産です」
甲子園後に訪れたのは“ハンカチ王子フィーバー”。当時のことを振り返ってもらうと。
「あのフィーバーは、嫌だったというより、ちょっと冷めた目で見てましたね。“何だこれ?”みたいな。客観的に見て異常だなと思っていました」
高校生、大学生に連日群がるメディアを、小バカにするような気持ちも、ぶっちゃけあったのでは?
「それはないですけど(笑)。ちょっと嫌だったのは、大学1〜2年のとき。周りの友達が、僕と一緒にいると写っちゃうから、だいぶ嫌がられましたね」
早稲田大学入学後も、東京六大学野球で次々に記録を樹立するなど順風満帆だった斎藤だが、3年時に左の股関節を痛める。
「3・4年は調子がよくなかったのに“こんなに注目してもらえるんだ”って、すごく感じた。それこそ、ハンカチ王子じゃなかったら、注目してもらえなかったと思う」
注目されることが、うれしくなっていたという。そして、それは野球を始めたときの気持ちに通じるという。縄跳び跳べたら親が褒めてくれる、足が速かったら仲間がすごいと言ってくれる。成功体験は、楽しさを実感させ、成長を促す。
「そんなことの繰り返しで、僕らは野球を続けてこられている。失礼な言い方かもしれませんが、メディアをそんなふうに思うと、僕はすごく楽になった」