思わず熱くなってしまった長瀬さんは、大の稀勢の里ファンなんだとか。ほかにも、明荷(竹で編まれたつづらで、化粧まわしなど道具を入れて運ぶ大相撲ならではの荷物入れの箱)、土俵下で使っていた四股名(しこな)入りの座布団、着物、雪駄などのほか、角界入りしてすぐの萩原時代から横綱、稀勢の里への歩みもわかる展示もあるそう。ファンなら現役時代を振り返り、思い出に浸れる品々がめじろ押しだ。
それにしても1月の引退から約3か月。
横綱稀勢の里から荒磯親方となり、相撲協会の紺色のジャンパーを着て、3月の大阪場所では館内警備を担当する姿がたびたび、見られた。場所中にはNHKの大相撲中継で解説を担当。わかりやすくて力士の立場に立った解説には「こんなにおしゃべりがうまかったんだね!」と驚きとともに、広く相撲ファンから好評を得た。
いちファンとして、父親として
「みなさんは意外と思われるかもしれませんが、解説で話す姿は普段とあまり変わらないんです。相撲を取ってるときは、力士は武士に通じるもの、という考えで終始一貫、寡黙(かもく)にふるまっていましたが、いつもはああしてよく話すんですよ」
そう教えてくれたのは、稀勢の里の父・萩原貞彦さん。
今回の展示会には「足を運んでみたいですね」とおっしゃるが、化粧まわしなど、稀勢の里へ贈呈される場に何度も立ち会っているとか。
「そうですね、何度か立ち会いましたよ。『北斗の拳』の化粧まわしはかなり高価なものだと聞いています。おそらく1つが500万円ほど。3つぞろいですからね。そうしたものをいただけるのは人気の象徴であり、横綱という地位の象徴ですよね。ありがとうございます、とお受けしていました」
それにしてもいちばん近くで誰よりも稀勢の里を応援していたお父さん。少し時間がたった今、引退をどう思っているのだろう?
「しょうがない、という気持ちでしょうね。いちファンとして、父親として、もっと相撲を取ってもらいたかったな、あの優勝したときのような気持ちをもう1度、味わいたかったというのはあります。
引退した直後はあのときこうしておけばよかった、ああしておけばよかったと、そういうふうに頭をよぎったりもしました。本人もそうでしょう。ただ、頭を切り替えていかなければいけません。これからは親方として相撲界のために働いて、部屋をおこして若い人を育てていく立場です」