引退してからの稀勢の里、いや、荒磯親方はいち相撲ファンとして見ていて、ホッとした表情に見えるのですが? との問いには、
「とにかくこれからは親方として人を募っていかなきゃいけない立場でしょう? 話しかけるのも怖いと思われるようじゃダメ。話しかけやすい雰囲気だって必要でしょう。そういう表情なんでしょうね。でもね、あれが素なんですよ。決して演技してるわけじゃない。そういう意味では相撲取ってたころより、今のほうがそりゃ苦労はしてないでしょうね」
現役最後の2年間の横綱時代、稀勢の里が背負ったプレッシャーは大きく、表情は常にこわばって見えた。ほんと、そのころに比べると、今はすっきりした表情になった。引退がよかったとは言わない。ただ、その表情の変化に、ひたすら「おつかれさまでした」と言いたくなる。
父が選んだ感動の取組ベスト3
さて、稀勢の里(荒磯親方)は今回、展示資料として大切な私物を気軽に貸し出してくれたという。
「(荒磯親方は)“物にはあまり執着しない性格なんです。声をかけていただかなかったらもう後援会の方などにあげてしまったかもしれません”と、おっしゃってました」
と、相撲博物館学芸員の長瀬さん。
それを受けてお父さんは、
「とにかくまじめな子ですから。自分のためより協会のため、みなさんのためという気持ちなんだと思います」と、息子を優しく見つめる。
その一方で、「今はありがたいことに人気だ人気だと言ってもらえますが、人気なんてのは泡みたいなもの。人は熱しやすく冷めやすい。1年も過ぎれば、そんな人いたねぇ、となるでしょう。貴景勝ら、どんどん力士が上がってきてますからね」と、厳しい目でも見ている。身内がいちばん厳しい!
でも、お父さん、いちばんの思い出の場面といったら? と伺うと、声をパッと明るくして、
「そりゃやっぱり一番は優勝したときでしょう。それと、幕下から十両に上がったときね。それから白鵬の63連勝を止めたいちばん。みなさんきっと同じじゃないですか? それは思い出深いですね」という。
2017年一月、三月場所の連続優勝。特に一月はその優勝で横綱昇進を決めた。そして2004年三月場所、幕下筆頭で勝ち越して十両昇進。そのとき萩原(稀勢の里)はまだ17歳だった。さらに2010年十一月場所で63連勝していた白鵬に勝って、記録にストップをかけた。白鵬自身、この相撲があったからその後があったと稀勢の里に感謝し、ライバルとして一目を置く。
お父さんの胸の中では、息子・寛が懸命に取った相撲の一番一番が今も輝いているのだろう。
それぞれのファンの中にそれぞれの横綱稀勢の里の姿が今もあるはず。その思い出を胸に、相撲博物館を訪れてみてはどうだろう。
相撲博物館 墨田区横網1-3-28(国技館1階)
入場無料(ただし、五月場所期間中は観覧券が必要)
問:03-3622-0366
和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。