結婚、そして“白目”をむいての出産
当時の思いを四宮さんが振り返る。
「五輪に2度出てメダルを取り、海外でもプレーした絵里香が次に何を目指すのか。それは難しいテーマでした。さらなる高みを求めていくためにも、環境の変化が必要だと僕は感じた。結婚して子どもができれば、新たなモチベーションも生まれる。彼女にはそういう前向きな生き方をしてほしかった。
日本では女性アスリートを取り巻く環境が整っていないけど、海外が長い自分にとっては結婚・出産は特別なことじゃない。英語の文献も読みましたけど、アメリカの陸上選手が出産後2か月で復帰した例もあるという。僕らが日本スポーツ界にはなかったモデルを作っていけたらいいと思ったんです」
その情熱に荒木選手も胸を打たれた。
「“遠く離れているし、リオまでは待てない”とも言われたので、相当迷いました。たくさんの選択肢がある中で、彼の言葉が私の背中を押した。“結婚して子どもも産んでバレーもやりたい”という気持ちになれたんです」
2人は2013年6月に結婚。すぐに妊娠し、10月末に10年間所属した東レを退社。出産準備に入った。
マタニティーの時期は四宮さんが日本に戻ってビジネスを始めたころ。初めて一緒に暮らした。ケンカもしたが、毎日が楽しく幸せだった。練習に行かなくていい日々も荒木選手にとっては新鮮だったという。
だが同時に、出産後の環境作りもしなければいけなかった。忙しい夫は子育てに専念できないし、自分も復帰に向かわないといけない。そこで力強い援軍になってくれたのが、母・和子さんだった。
「長年、専業主婦をしていた母も50代になり“もう1度、自分の仕事をやりたい”と柏市の中学校で体育講師の仕事を始めたばかりでした。私としても心苦しかったんですが“絵里香のやりたいようにしなさい”とサポートを約束してくれた。本当にうれしかったし、力強かったですね」
四宮さんの拠点である東京、和子さんの住む千葉・柏から遠くないチームということで、Vリーグ2部の上尾メディックス入りを決断。2014年1月に和香ちゃんを出産した。
「子どもを産んでいる女性はたくさんいるし、自分は身体を鍛えてきたアスリートだから大丈夫」と高を括っていたが、かなりの難産で最終的には吸引分娩となった。痛みは想像を絶するレベル。「白目をむいて、いきんでいたそうです」と苦笑する。けれども、母になった瞬間の感動は忘れられないものだったという。
3か月間は和子さんのもとで子育てに専念し、2014年6月に和香ちゃんと上尾に引っ越した。四宮さんは都内、和子さんは柏から頻繁に往復して、子育てに携わった。
母は娘と孫への秘めた思いをこう明かす。
「絵里香が独身のころに“産んだらサポートしてくれる?”と聞いてきたことがあって、それもいいなと思っていました。本当に妊娠したときはまだ学校で働いていましたが、2014年3月末に退職して、6月からはほぼ上尾にいて、週1回だけ柏に帰る生活を送るようになりました。
やっぱり初孫で可愛かったですし、お父さんも和歌山で仕事をしていたので、私は自由がきく。絵里香のことを考えたらそれがいちばんだと思って、仕事を辞める決断を下すことができました」