再びコートへ、そして病気の発覚
環境は整ったものの、荒木選手にとって1年ぶりのバレーボールは「初めてやったときと同じ」だった。レシーブするだけで両腕が真っ青。ボールの重さもズッシリ感じた。身体も動かず、出産前とはすべての感覚が違う。2014年10月の実戦復帰に向け、困難が続いた。
トヨタ車体と全日本の現チームメートである内瀬戸真実さんが、その大変さを代弁する。
「自分の場合、2週間やらないだけで身体中が筋肉痛になる。絵里香さんが出産で1年近くプレーしない状態から復帰するのは相当大変だったと思います。でも実戦復帰の直後からブランクがあったとは思えない“高い”プレーをしていた。本当に『凄い』のひと言です」
2015年3月には眞鍋監督から全日本復帰の打診があった。最初は「子どもと離れたくないし、世界で戦える心と身体の準備がまだできていない」と二の足を踏んだ荒木選手だったが、家族会議を開いて意見を聞いたところ、四宮さんは「やりなよ」と言い、和子さんも「和香の面倒は私が見るから大丈夫」と言ってくれた。
娘を含めた家族の存在が後押しとなり、荒木選手は全日本のユニフォームを再び身にまとって世界に挑むことを決めた。
ところが、直後のメディカルチェックで、予期せぬ病が見つかってしまう。
「出産後にめまいが出始め、試合に出るようになってからは過去に感じたことのない疲労感に襲われるようになりました。何かおかしいなと。でも、長期間バレーから離れていたせいだと思っていたんです」
所属チームが医療関係だったことも幸いし、大がかりな検査を行った結果、心臓の不整脈が発覚。手術を余儀なくされた。ドクターに「もう競技はいいでしょう」と言われるほどの選手生命の危機に直面したのだ。大事には至らなかったが、その病を経て「コートに立つことは当たり前じゃないんだ」と痛感。バレーのできる1日1日を大切にしようと誓った。
そして、2016年リオ五輪にも参戦。北京と同じ5位と、ロンドンのメダルを下回る結果に終わったが、荒木選手がいなければチームは成り立たなかった。彼女はベテランとしてチームを牽引する重要な役割を担っていたのだ。
リオ五輪明けの2016年秋からは、現在のトヨタ車体へ移籍。決断を後押ししたのは、夫・四宮さんだった。
「東京を目指すならVリーグ2部に居続けるのは厳しいし、新たなステップを踏み出したほうが絵里香にとってプラスだと考えました。上尾に行かなければ現役復帰も心臓病克服もなかったし、本当に感謝してますけど、より高いレベルでプレーさせてあげたいと僕は思ったんです」