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まず、今回の炎上をみて著名人たちがツイッターで激しく論争していますが、個人的にはそこまで目くじらを立てるものではないかなとも思いますね。
それよりもなぜ表現を巡る問題がここまで炎上してしまったのか、表現者であるならば、感情に任せてツイッター上でいろいろと呟くのではなく、そうした状況に陥ってしまった原因を冷静に考える必要はあるかなと思いました。
私自身も、名前は出さないものの、特定の著名人に対して意見をすることはあるし、芸能人が政治家に対して意見をいうことは別に良いのではないでしょうか。ただ、今回ここまで炎上してしまったのは、佐藤さんが役に対して、
《最初は絶対やりたくないと思いました(笑)。いわゆる体制側の立場を演じることに対する抵抗感が、まだ僕らの世代の役者には残ってるんですね》(『ビックコミック』2019年5月10日号より)
と、自ら「体制側」という言葉を用いてしまったことが大きいと思います。
自らつくり出した“叩かれスタンス”
現在の政権を批判しているわけではないにしても、「~側」と前置きをしてしまったことによって、右・左の対立構図を作ってしまった。このスタンスを作ってしまったことで案の定、右寄りの論客、安倍総理を支持する人たちは、それ以下の佐藤さんの発言を“身構えて”読むことになる。こうなると何を言っても悪く捉えられるのは目に見えています。
だから安倍総理の潰瘍性大腸炎を連想させるとして問題となった、
《ストレスに弱くて、すぐにお腹(なか)を下してしまうっていう設定にしてもらったんです》
という発言に対し、構えていた右派からは「安倍さんだから揶揄したんだろ」と批判の声が上がり、一方左派からは「安倍さんだったら揶揄しても良いや」とスルーされてしまった。
仮にもし前置きが「私は安倍総理のことを尊敬していて〜」といった内容であったなら、むしろ「安倍さんの苦悩を忠実に再現した」と、好意的に捉えられた可能性だってあったかもしれない。
でも、そもそも本来であれば、人間としてのモラル的に、どんな背景があろうと身体の特徴や病気を揶揄(やゆ)するということに対しては、疑問を持つべきです。右・左という構図関係なく、双方から批判が来てもおかしくないところだよね。
また、最近、漫画やアニメを実写化する映画はすごく多いのだけれど、映画化にあたり、監督の意図や、役者の気持ち、考え方によって原作のキャラクターを変えるというのは、どんな作品でもファンから文句をいわれます。キャラクターを勝手に変えられるというのは、原作ファンからしたら抵抗があるものです。
今回佐藤さんがインタビューでこのように答えていなかったとしても、わざわざ原作にない「お腹が弱い」という新たなキャラクター付けをしたことで、どちらにせよ「イメージが違う!」と批判された可能性はありますよね。『空母いぶき』はファンが多い作品だと聞きますし。
いずれにしても、表現するということは、大変だなと思いました。表現の仕方次第で人に誤解を与えてしまうこともあるし、作品の印象を変えてしまうこともある。
右も左もない『いぶき』のファンからしたら、作品そのものが好きなのに政治色が強くなってガッカリしたんじゃないかな。
<構成・文/岸沙織>