この街で次世代へのバトン

 ふたりは、人とのつながりを何よりも大切にしている。地位や名声は関係ない。ひとりひとりを、ひとりの人間としてリスペクトし、関わり続ける。

「開店して数年は、ご飯を作る暇もないほど忙しいときもありました。そうするとご近所さんがおかずを作って持ってきてくれた。今も、“命の恩人”って呼んでいます。心からそう思っているんです。余力のある人が大変な人を支える関係がこの町にはある。カフェ・バッハは、この町に育ててもらいました」(文子)

 2000年、沖縄サミットの晩餐会には、カフェ・バッハを代表するバッハブレンド が選ばれ、各国の首脳から好評を博した。2012年には日本スペシャルティコーヒー協会会長に田口護が就任し、日本のコーヒー業界は新しい時代を迎えた。世界でも稀に見る上質なコーヒーが日本に集まるようになっていた。

コーヒーの質がとてもよくなって本当にうれしい。昔からこんなにいい豆が入手できる環境だったら、自家焙煎はやらなかったかもしれないね。ひとりでできることは限界がある。一代で終わっては誰もその先に行けない。文化は自分たちの世代が到達したすべてを次の世代に“どうぞ”と差し出してつなげていくことです。私が手にした知恵や知識を、また次の世代でさらに発展させてほしいと心から願っています」(護)

 この春、カフェ・バッハ総店長であり工場長の山田康一さん(40)が、田口夫妻の後継者として正式に決定した。

「製菓の専門学校に通っていたときに、田口に出会いました。コーヒーの授業の内容は実はよく覚えていないのですが(笑)、“よいものを後世に伝える”という言葉に強く惹かれました。もう20年以上前ですが、その言葉が私の原点です。迷ったときにはそこに立ち返ります。おふたりと同じようにはできないけれど、今ある技術をさらにブラッシュアップしていきたい。背伸びをすることなく、常によりよいものを作り続け、後世に伝えられるものを残したいと思っています」

 山田さんの言葉に、バッハの跡を継ぐプレッシャーは感じられない。これまでの20年間で確実に身につけたことを、これからも変わりなくしっかりと進めていくという強い信念だけが伝わってきた。

「後継者といっても、ああしろこうしろとは言いたくない。あとは好きなようにやってもらえばいい」と田口夫妻は声をそろえる。

 現在スタッフの数は16人まで増えた。そして、ふたりとも、まだ現役だ。今年81歳を迎える護は今もコーヒーの仕事で年に10回以上は海外へ飛ぶ。文子は製菓の現場で指揮をとる。

「ひとつひとつの出会いで人生は変わっていく。その中で大事なものをつかみ、必要のないものを手放してきた。そのときにつかむことができるものを見極め、しっかりとつかめるよう、自らの資質を高める努力をしてきました。これまでの出会いがひとつでも欠けていたら今の私たちはありません。そして今、このバッハがある。素晴らしいよね」(護)

 護と文子、ふたりを結びつけたカフェと音楽は、いつも山谷の町、地域の人たちとともにふたりのそばにあった。

 そして彼らに出会い、コーヒーを飲んだ人たちの胸に、カフェ・バッハは生き続けるだろう。

 これからも永遠に。

隅々まで磨き上げられた焙煎工場。田口夫妻の豆への愛情は限りない 撮影/伊藤和幸
隅々まで磨き上げられた焙煎工場。田口夫妻の豆への愛情は限りない 撮影/伊藤和幸
【写真】カフェ・バッハの歴史、文子さんのグランドハープ

取材・文/太田美由紀(おおた・みゆき)大阪府生まれ。フリーライター、編集者。育児、教育、福祉、医療など「生きる」を軸に多数の雑誌、書籍に関わる。取材対象は赤ちゃんからダライ・ラマ法王まで。取材で培った知識を生かし、2017年、保育士免許取得。NHK Eテレ『すくすく子育て』リサーチャー。家族は息子2人と猫のトラ