「僕、同性愛者なんやけど─」
南ヤヱさんが、今は弁護士として活躍する次男の和行さんからそう告白されたのは、2000年初夏のころだった。家族そろっての法事からの帰り道、電車の中でのことであったという。
母と息子の言い争い
あの日のカミングアウトを思い出して、ヤヱさんが言う。
「南海電鉄の電車の中で、私と和行と長男の輝行の3人で、確か立っていたと思うんですよ。長男に聞くと、私はそのとき、泣いたと。私は覚えていないんですけど。そのあと長男が“そんなもん、電車の中で言うな!”と言って。とにかく座りたい一心で、天下茶屋駅の、おうどん屋さんに入ったような気がします」
兄の輝行さんも振り返る。
「母親が取り乱していたのを覚えています。ハラハラと泣いていたように思いますね。和行が言うには、私は家に帰ってから“(同性愛は)国によっては死刑になる! そうならないだけ幸運に思え!”そんなひどいことを言ったらしいです(苦笑)」
やさしい性格で成績もよかった和行さんは、小学生のころから女の子にモテモテだった。バレンタインデーにはチョコレートを10個も抱えて帰ってきたことがある。そんな息子も24歳。“そろそろ特別な女性を紹介してくれてもいい年齢なのに……”そう思っていた矢先のことだった。
「私は頭が真っ白になったというより、“この子、なにを言ってるんやろ!?”と。戸惑いというか、ショックというか、息子が悪いこと、恥ずかしいことを言っているという意識しかありませんでした」
衝撃のこの日から、わが子の性的指向を理解し、受け入れる、心の旅が始まることとなる─。
◇ ◇ ◇ ◇
カミングアウトした当時、和行さんは京都大学農学部の大学院生で、京都のワンルームマンションでひとり暮らしをしていた。電車内での突然のカミングアウトは、法事をきっかけに、“気持ちは言葉にして伝えておかないと、家族親族といえど伝わらず、誤解されたままになってしまうことがある”そう思い至ったからだったという。
だが、それ以降、大阪に帰省してヤヱさんと顔を合わせるたびに、言い争いになった。
「同性愛は犯罪でもなければ、恥ずかしいことでもない!」そう主張する息子と、「同性愛なんてはしかのようなもの。素敵な女性と出会えれば、はしかが治るように忘れられるはず!」そう繰り返す母。
仮に女性と付き合ったとしても、同性愛者である以上、相手を不幸にするだけと和行さんが訴えても、ヤヱさんは聞く耳を持たなかった。