和行さんからの、“僕は司法試験に落ちたけど、吉田くんが通ったから、どこかごはんでも連れて行ってあげて”そんなリクエストに応え、3人で大阪ミナミの老舗『はり重』へ。和やかな雰囲気のもと、お祝いの膳を囲んだ。吉田さんは司法修習生として12月から1年間、裁判所や検察庁、弁護士事務所で研修を積まなければならない。ヤヱさんが、
「吉田さんのご両親が亡くなっていて、早くちゃんとなったほうが安心だから、“ああ、本当によかった!”と」
兄の輝行さんのわだかまりも解け始めていた。
「吉田くんと何度か会ううち、人のよさを感じたんです。和行より数倍しっかりしているし(笑)。なんだかすーっと、こだわりが消えていた」
ヤヱさんが今もよく覚えていることがある。
息子の恋人はわずかな回数しか家には来ていない。それなのに陶器が大好きなのを察知して、何回かペアのコーヒーカップをプレゼントしてくれたのだ。その繊細さと思いやり、そしてやさしさ。
「亡くなった主人が、息子が思春期に入りかけたころに言っていたことがあるんです。“子どもが結婚したいと連れてきた人は、悪い人じゃなかったら認めなきゃアカン”。じっくりとよく考えてみれば、吉田くんは和行が選んだ人なんや、と……」
ヤヱさんの心を解かしつつあったもの。それは異性同性の別ではなく、人間としての資質。
つまりは、やさしさや思いやり、誠実さだったのだ。
出会いから10年の決心
ヤヱさんの理解も深まり始めた2007年のことだった。司法修習生として多忙な毎日を送っていた吉田さんが体調不良を訴え、倒れてしまった。
突然の病気は、結婚もできなければ交際を公言できない状況を、2人に改めて考えさせることとなった。
例えば、異性同士ならば、結婚はしていなくても、誰はばかることなくパートナーをサポートすることができる。
ところが同性カップルとなると、医師に病状ひとつ尋ねるにも、2人の関係から説明しなければならないのだ。
吉田さんの体調不良は修習期間を終えた2007年11月以降も続き、弁護士事務所に就職したのちも休みがちな日々を送っていた。“事務所に迷惑をかけてしまっている”という思いを抱えていた吉田さんは、勤務先からの退職を決意する。