毎日利用する通勤電車で、当たり前に「大河ドラマ」駅に着くつもりが「朝ドラ」駅に着いて、そこには知らない人がいて、いつものような流れで仕事が進まず、すっかり困惑してしまったというような状況がいまの『いだてん』である。
主として低視聴率の原因とされる点は3点。
1. 構成が凝りすぎている
2. 有名な偉人によるよく知られた歴史譚でない
3. 朝ドラみたい
まず、構成。落語を使った構成が凝っている。金栗と田畑の生きた2つの時代を結びつけるために、明治から昭和まで生きた落語家・古今亭志ん生(若き頃、美濃部孝蔵時代は森山未來、志ん生になってからはビートたけし)が創作落語『東京オリムピック噺』を語るという趣向になっている。
日本人がいかにオリンピックと関わってきたか、そこに存在した人々の奮闘を描いた創作落語が2つの時代を一本刺し貫くという凝った趣向だが、これが意外と関門になった。
オリンピック=スポーツドラマと思って見たら、落語のドラマも混ざっていて混乱してしまうという声が出た。2つの時代を行ったり来たりして混乱しないようにガイドとして機能するはずの落語が、かえって混乱を大きくしてしまったとは予想外だろう。視聴率が下るのは、落語だけに「サゲ」(オチのこと)がつきものです、と笑っていいものか悩ましい。
2点目は、主人公が有名人ではないこと。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などなど、だいたい何をした人か知っている人であってほしい。「待ってました!」と知っている出来事を見て楽しみたいのが日曜夜8時の気分らしい。いやいや待てよ、6月9日(日)放送回で視聴率が20%を超えた『ポツンと一軒家』は、有名人ではない人の意外な生活の実話である。
だがこれは、出てくる人は知らない人ながら、田舎にポツンと一軒家があるという筋は毎回同じ。つまり、ポツンと一軒家の発見とそこで暮らす人のちょっといい話であることは、誰もがあらかじめわかっている。
お決まりの“印籠”タイムは1年後!?
いわゆる“水戸黄門パターン”なのだ。『半沢直樹』以降、成功パターンとして信じられている、医療もの、事件もの、逆転ものにつきものの、必ず何か気分がよくなることが起こり、それを楽しみに見るという絶対安心の番組。それこそが今までの大河ドラマであり、『水戸黄門』であり、『半沢直樹』であり、そして『ポツンと一軒家』なのである。
そこへいくと『いだてん』にはそれがない。いつ、大正と昭和の時代の話が出てくるか、いつ、古今亭志ん生の話になるかわからず、ふいに話が切り替わる。しかも、いまのところ、何かが起こるとたいてい主人公が負けてしまう展開なのだ。
金栗はオリンピックでゴールできず、次のオリンピックは中止になり、3度目の正直かと思えば16位。第22回でせっかく女子が立ち上がったと思ったら、これから関東大震災、さらに戦争も待っている。そこを乗り切れば、やがて昭和の高度成長期を迎え、はじめて日本にオリンピックが招致されることになって、すべてが報われる、はずだ。
1年間続けて見たら、最後は印籠タイム的なことが用意されていると想像に難くないのだが、われわれ庶民は、この数年の1話完結型の医療と事件もののドラマブームによって、1時間の間に救いや答えをもらうことにすっかり慣れてしまい、1年間も待つことができないカラダになってしまっているのであった。