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確かに“おっさん政治”といいたい気持ちはわかります。だけど、本当にジェンダーフリーを訴えたいのなら、こうした言い方をするのではなく、性別や年齢を超えた政治参加を呼びかけたら良かったんですよ。福島議員自体、性差に敏感に反応し、普段からジェンダーフリーを訴えている立ち位置の方なので、おそらく逆に“おばさん政治”などといわれたりしたならば騒ぐはずですよね。
こうした表現をしてしまった原因として、“おばさん”は問題になるけど、“おじさん”は何となく許されると思っている節があったのではないかなと。だけどそれは、女性の立ち位置を常に弱者と位置づけ、弱い立場だから何をいっても許されるという考えが根底にあるからこその発想。それこそジェンダーフリーの目指す思想とは逆行していますよね。
女性ということで差別されない社会であるべきだけど、同時に、女性であるだけで優遇される社会であってもいけないと思います。
同じ女性として情けない
本来、性別や年齢に関係なく、すべての人にチャンスが与えられる実力社会こそが私が考えるジェンダーフリーの社会です。弱者という立場を利用してむしろ強くなってしまってはいけないんです。
日本はそもそも女性の参政を阻んでいる国でもないですし、立候補者の男女比をツイートすること自体いかがなものかと。
むしろいまや、女性の議員候補者が掲げる「女性の活躍」や「育児」に関するマニュフェストは、それだけで注目されるご時世です。私は、女性議員ということで注目されることそのものは悪いことではないと思います。政治への関心が高まれば自然に候補者も増えてくるし、その関心を持たせることも現役議員の務めだと思うので。
だけど、現実の女性議員たちの行動といえば、'15年に安全保障関連法案が審議されていた際、ピンクのハチマキをして“女性の壁”を作り理事会室のドアの前を占拠し、それを制する男性議員たちに対し「セクハラだ!」と騒いで審議の妨害を試みたことが記憶にあるように、女性という立場を都合よく利用しているところがまだまだありますよね。
私はこのとき、同じ女性として、こうしたやり口に情けなくなりました。女性の足を引っ張るのは女性なんだなと。
今回の件もそうですが、ジェンダーフリー訴求の先頭に立つべき女性議員自ら、女性であることを都合良く利用している現状では、この国の本当のジェンダーフリーはまだまだ遠いなと思わざるを得ませんよね。
<構成・文/岸沙織>