全てを分かることはできない、だからこそ
西尾慧吾さん(20)は大阪府出身の大学生。4年前の高校生のときに、修学旅行先の沖縄で「戦後70年(当時)たっても、遺品や遺骨がガマから出てくる」という現実を知った。
沖縄戦、米軍基地問題など、何も知らないまま、それを問題にも思わなかった自分にショックを受けた。
その後、遺骨や遺品を集め続けている国吉勇さんに会いに何度か生徒会で沖縄に通い、沖縄戦体験者の話も聞きながら沖縄戦についての学習を続けた。翌年、高校の文化祭で沖縄戦の遺品の展示会を開催した。
西尾さんは現在も、「沖縄戦遺骨収容国吉勇応援会」の学生共同代表として全国各地で沖縄戦遺品展を開いている。
また、修学旅行で沖縄に行く中高生にも授業を行っている。授業では、例えばこんな話をする。
タンスの飾りが見つかった糸満市の壕は、日本軍の陣地壕跡。最初は戦火を逃れるために住民が壕に住んでいたが、陣地壕にするために日本軍が住民を追い出した経緯が遺品から想像できる。アメリカの攻撃による悲劇だけではない、日本軍から犠牲を強いられた沖縄戦の事実。
そのため沖縄では、国吉さんの活動に賛否があると西尾さんは言う。
「日本軍に追い出された住民は、逃げ惑う中で殺され、壕の中で死ぬことすらできなかった。少なくとも3000のご遺体がいまだに発見されていません。壕の遺骨や遺品は日本軍のものも多いんです」
その矛盾に向き合うべきなのは私たち「本土」の人間だと西尾さんは言う。沖縄戦から基地問題へとつながる、沖縄を犠牲にする構造の中に自分もいる。展示活動をしたからといって加害性からは逃れられない。
「差別は、差別する側が変わらないといけない。これ以上加害者になりたくないという痛みがないと、差別はなくならないと思うんです」
「本土で伝えてほしい」という思いとともに、遺品を託してくれた沖縄の人の思いをつなげたいと考えている。西尾さんが言う。
「継承は本当に難しい。その人のすべてをわかることなんてできないんです。でも、その世代の方の経験のコアを受け取り、現代に意味づけして自分はこうする、と考えられる伝え方ができればと思っています。その過去から見える現在があると思うんです」
(取材・文/吉田千亜)
吉田千亜 ◎フリーライター、編集者。東日本大震災後、福島第一原発事故の被害者・避難者への取材を精力的に続けている。『その後の福島:原発事故後を生きる人々』(人文書院)ほか著書多数
《INFORMATION》
西尾さんらによる沖縄戦遺品展のスケジュール
8/3~8/5『遺品が語る沖縄戦』