双羽黒、失踪事件に“加担”
床蜂さんは双羽黒の孤独を知っていて、側にいた。そこへ巻き起こった失踪騒動。1987年12月、双羽黒が親方と衝突して部屋から出て行ったと大騒ぎになって、結局、双羽黒は廃業に追い込まれる。24歳の現役横綱、突然の引退だ。
「あのとき双羽黒から連絡が来たので、逃げ込んだマンションに行って髷を結いました。それで双羽黒が記者会見を開いたときに髷がきれいだったから、『どこかの床山が来てるのか?』と相撲協会も騒ぎになって、あとで自分は減棒食らいました。マンションに張りついていた報道陣にも『中の様子を教えてください、名前は出しませんから』と言われて少しだけ話したら、しっかり名前出されちゃってね」
それでも床蜂さんは双羽黒のことを恨んだりしていない。そのときマンションで双羽黒が『これを持って行ってください』と渡してくれた櫛(くし)を、30年以上たった今まで大切に使い続けてきた。今年亡くなったニュースを聞いたときには、驚いて言葉が出なかったという。
床蜂さんの床山人生はまさに波瀾万丈。いろいろなことがあった。
そして、定年退職を迎えたいま、「自分は床山として恵まれていたと思います。人気力士も横綱の頭もやってきて、自分の思うことは何から何まで叶いました」と、その半生を振り返る。
名古屋場所千秋楽。取組を終えた横綱白鵬の髷を直し、床蜂さんは最後の仕事を終えた。手を洗って帰ろう、そう思っていたら宮城野部屋の山口(大喜鵬)が飛んで来て「章さん、ちょっと帰らないでください」と言う。それでピンと来て、「さては白鵬が何かするつもりでいるな?」と思った。
「白鵬はああいうことが大好きだけど、自分は苦手なんですよ。だからさっさと手洗って逃げようとしたのに、入り口で宮城野部屋の樹龍が『章さん、待ってください。章さんのことだから、すぐ逃げるなって思いました』と通せんぼをする。
そしたら白鵬が花束を持ってきたから、あ、こりゃダメだって。『お疲れさまでした』とパッと渡されて、もう、ジーンときちゃった。そういうの本当に弱いの。弱いから、イヤなの。涙出ちゃうから。それで白鵬を見たら、やっぱり涙出てて。新聞にも、白鵬の目にも涙って書いてあったらしいですね。
白鵬は『このまま辞めさせない』とか陰で言ってるらしいんです。この間は『毎日電話してやる!』って言ってきましたよ。なんだかねぇ、自分の息子みたいなもんです」
特等床山・床蜂こと、加藤章さん。
52年にわたった床山人生にいったん櫛を置くけれど、また別の形で相撲にかかわってくれるんじゃないか? と、いちファンとして期待している。床蜂さん、最後に若い床山たちへ助言をお願いします。
「自分で探していかなきゃダメってことだね。俺も基本は教えてもらったけど、あとは自分で研究した。見て覚えるというけど、ただ漫然と見ているだけじゃ見てないのと同じ。しっかり頭に入れて、それをやってみて、自分なりの大銀杏を作ってほしい。床山が50人いれば50通りのやり方があっていい。全部違う。それが大相撲の床山の仕事です」
これは誰の仕事にも通じる金言ですね。床蜂さん、ありがとうございました。
《前編「白鵬・千代の富士・北の湖の髷を結ってきた、相撲界の“生き字引”に聞く横綱秘話」》
和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。