【大空小学校について】 大阪市住吉区にある公立小学校。初代校長を務めた著者である木村泰子さんと教職員たちが掲げた「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」という理念のもと、さまざまな個性を持つ子どもたちがともに学び合う姿が、ドキュメンタリー映画『みんなの学校』として公開され、大きな話題となった。転校してきた特別支援の対象となる児童は、50人を超えたが、不登校はいなかった。地域に開かれた学校として、教職員のみならず、地域住民や学生ボランティア、保護者をはじめ多くの大人たちが、つねに子どもたちを見守っている。
『ふつう』っていったいなんですか?
そもそも『ふつう』ってなんでしょう。『ふつう』があるなら『ふつう』じゃないものもあるということですよね。実は、私がこの『ふつう』という言葉を意識するようになったのは、9年間務めた大空小学校の校長を退職してからのことでした。
45年という教師生活を経て、講演会やセミナーなどで、47都道府県すべてを回ったんです。そこで出会ったのは、小学校、中学校と学校に行けなかった子、自ら命を絶ってしまった子のことで、ずっと苦しんでいるお母ちゃんやお父ちゃんや、学校の先生も。心がある人は苦しむんですよ。そんな人たちでした。
たったいまも「困っている」ことを抱えている子どもや大人たちと。何百人と会いました。そんな中で学校に行けなかったまま若者となった子たちから、幾度となく受けたのが、「先生『ふつう』っていったいなんですか?」という質問でした。
ある青年がこんな話をしてくれました。
「自分は小学校、中学校と、毎日が苦しくて学校に通うことができなかった。高校はいろんな学校があるから、入学して席はおいたけれども、やっぱり『学校という場』が苦しくて、通うことができなかった」
学校に行けないまま大人になりつつあるその若者が、「『ふつう』ってなんですか?」と真剣な顔で私に問うんです。
私はそれまで考えたこともなくて、答えられませんでした。そのかわりに「なんでそんな質問するの?」って聞いてみました。
「私はこの『ふつう』という言葉に苦しんで、100本くらいリストカットしました」
その青年の身体に刻まれた傷は深くて、縫っているものもあるほど壮絶なものでした。彼は『ふつう』という言葉に苦しんで、何度も何度も自分を消そうとした。そのころを無数の傷が物語っていました。
小学校でも中学校でも先生から「おまえ『ふつう』のことぐらいやれよ。みんなやってるやろ?」と言われ続けたそうです。
でも、自分にはなにが先生の言っている『ふつう』なのかわからなかった。『ふつう』ってなに?『ふつう』のこともできない自分はダメなんだ。生きている値打ちはないんだ。ずっとそう思い続けて大人になったんです。