12月には娘が通う学校が冬休みに。そこで三船が「荷物の整理がしたい」と訴えたので、娘を仙台に住む高橋の姉に預けることに。
「12月13日に、姉が東京駅まで迎えに来てくれました。そのとき、俺と美佳さんで大ゲンカをしたんです。娘にはGPS付きの携帯を持たせていたのですが、姉の電話番号を登録していなかったので。仙台で迷子になったらどうするんだと。俺は姉と美佳さんと娘を置いて、携帯ショップに1人で向かいました」
このとき、三船の口からは衝撃的な言葉が発せられた。
「美佳さんが姉に“DVを受けています”と初めて言葉にしたんです。姉は“DVって何? 殴られてるの?”と聞き返すと、“言葉の暴力です。私にも、娘にも”と言ったそうなんです」
その2日後、三船が通う心療内科で医師を含む3人で話し合いが行われた。
「このときに突然、美佳さんが“別居したい”と言い出したんです」
「パパともう少し一緒にいたかった」
話し合いは平行線のまま。12月25日には、高橋に無断で、娘は大阪へ連れ去られてしまう。
「自宅で寝ていた娘はパジャマのまま、お義母さんがタクシーに乗せて新横浜へ。スーパーで着替えさせられて、新幹線で大阪へ向かっていると言うんです。俺は本当にお義母さんが連れて行ったのかわからないから、美佳さんに娘の安否確認をさせてくれと頼みました。誘拐かもしれない、警察に通報だと、必死でした」
すると娘がピースしている写真が送られてきた。三船からは《またすぐ会えますから》とのメッセージも届いた。
'14年の元旦には高橋の父と友人夫妻、三船ら計7人で食事をしたが、今後のことについての話し合いはないまま。
1月9日には三船と娘が、大阪へ期限つきの転校手続きをするため、自宅に戻ってきた。娘は都内の学校に籍を置いたまま、6月に戻る予定との話を初めて聞いたという。
「2人は、その日に大阪へ帰る予定だったのですが、娘だけ残ると言い出したんです。友達と過ごしたいからって」
3日後、高橋は大阪まで娘を送って、梅田で食事をし娘を三船に引き渡した。
「メールが来たんです。《パパともう少し一緒にいたかった》って。号泣しました。パパも同じ気持ちだよって……」
2月9日。高橋と三船は、友人夫妻を入れて話し合う。
「友人の夫が司会で、俺が勝手に発言できない状況でした」