インドネシアのバリ島に「グリーンスクール」という学校がある。竹でできた美しい校舎はジャングルの中にあり、“環境に配慮し、持続可能な世界のリーダーを育てる”というビジョンを掲げる。前編では発達障害でつまずいた男性が、同校で教育改革を志すまでの経緯を紹介した。後編では、テスト成績主義につまずいた少女が、同校で自らの道を切り開くまでを追った。前編『発達障害にも感謝、元不良少年が「否定しない学校」で学んだ “新しい教育” のカタチ

中学校の成績は、体育とか美術は5段階評価で『5』。それ以外は『2』か『3』、英語は『1』でした(笑)。私、授業態度めっちゃいいんですよ。提出物も必ず出したし、勉強も頑張った。人の10倍勉強しても、なぜかテストが全然できなかったんです

 露木志奈さん(18)は、横浜中華街で生まれ育った。家は街中だが、幼稚園は野外活動を大切にする横浜市の『トトロ幼稚舎』に通い、野山を駆け回り元気に育った。そこを選んだのは母の由美さんだ。

「志奈は4人きょうだいの2番目。1人目の兄がかなりやんちゃで、公園に行っても居場所がなかったんです。その幼稚園は、そんな彼を否定せずに肯定してくれました。いいところを認めてのびのびと伸ばしてくれた。そこにきょうだい全員を通わせました」

 昼食を子どもたちが飯ごうで炊き、卒園遠足では箱根を30キロ歩いた。自分で考え人と協力し、工夫してやり遂げる楽しさを生活の中で身につけたと志奈さんは振り返る。

 活発で明るく、友達も多かった。地元の公立小学校に通ったが、4〜5年生の2年間、長野県泰阜村の『暮らしの学校 だいだらぼっち』に山村留学をした。そこに至ったのは家庭の事情もあったという。

「シングルマザーで、仕事があって休みの日にもあまりいろいろな体験をさせてあげられなかったんです。3年生の夏休みに『だいだらぼっち』を主催するNPO法人グリーンウッドのキャンプに参加したら気に入って、山村留学に申し込みました」(由美さん)

 6年生からは地元に戻り、公立の中学校へ進学。勉強も自分なりに頑張った。

「中学に入ると受験のために知識を詰め込む勉強が嫌いになったけど、ガンジーが“明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい”って言ってたから頑張ったの。

 それでも、大好きな英語はどんなに勉強しても文法がわからなくて『1』。学校ってテストで成績をつけるところだからしかたないと思ってたけど、今は、単にテストだけで人の評価を下げたり、下に見たりするのはおかしいと思います」(志奈さん)