それほど可愛がっていた娘を残し、死んでいくのはさぞや心残りだったに違いない。
だが、渥美さんにはもうひとつ、大切なものがあった。
《1. 12作 私の寅さん 241万9千名/2. 11作 寅次郎忘れな草 239万5千/3. 30作 花も嵐も寅次郎 228万2千/4. 寅次郎小守唄 226万7千》(原文では順位の数は◯囲い)
これは観客動員の多かった上位4作を並べたもの。渥美さんが死を覚悟しながらも、シリーズの人気を案じていたのがよくわかる。残された人生を家族のためだけに費やすわけにはいかなかったのだ。
それでも渥美さんは、最後のページで家族旅行に行きたいという夢を語り、
《正子健康が一番だぞ/健太郎 幸恵も頑張れ、/(康雄)》
気力をふりしぼるようなエールを贈っている。
それは、人生の大半を“寅さん”として生きなければならなかった渥美さんの、家庭人“田所康雄”としての肉声だったのかもしれない。