家庭でのことはともかく、サッカーがあるから学校や地域では活発な少年だった。ところが中学2年のとき、サッカーで足をケガし、無理を押して続けていたところ、腰椎椎間板ヘルニアになってしまう。中学時代は部活と地域のクラブチーム、両方で活動していたが、どちらもやめざるをえなかった。
「なんとかなるだろうと思っていたのですが、痛みがひどくてどんどん動けなくなっていって。手術という選択肢もありました。でも怖くて踏み切れなかった」
サッカーをあきらめたことで友人との接点も少なくなった。そのころから城田さんに異変が起こる。動悸(どうき)、冷や汗、そして突然、目の前が真っ白になる現象が起こり、教室で座っていることができなくなったのだ。身体に何が起こっているのかわからず、病院を転々として検査を受けたが、内科的な異常は見当たらない。だが、教室に入ろうとすると腹痛がひどくなる。結局、保健室登校となり、テストも保健室で受けた。
「不思議なんですが、母は僕がケガをしたことにはほぼ無関心でした。サッカーをやめたり保健室登校になったりしたことにも大騒ぎしなかった。自分のテリトリーに僕が戻ってきたと思ったのか、そのあたりはわかりませんが」
誰とも話さない生活を2年以上
高校は推薦で入学できたが、心身の不調は続き、夏前に通えなくなった。夏休み明けには学校へ行くふりをして、近所の公園で本や雑誌を読み、下校時間に帰宅していたのだ。
学校から登校していないという連絡を受けた母は、受話器を置くなり彼を殴りつけた。
「どうして親を悲しませるようなことをするの、と言われて、“心身ともにつらくて通うのは無理”と言いました。そこからはよくある攻防戦(笑)。朝になると母が布団を剥がしにくる、僕は放っておいてくれと布団の中で丸くなる」
どんなに言われても学校へは通えなかった。自室から出たくもなかった。誰とも関わりたくないと心底思っていたという。
「親がせめて通信制でもいいから高卒の資格を得てほしい、社会とつながりをもつためにアルバイトしてほしいと言ってきました。外に出られる自信はなかったけど、自分のルーティンを作ろうと決意したんです。布団にこもっているかゲームをしているかの生活で、学校に行けない情けない自分と直面するのがつらくなっていたのかもしれない」
週に3回、夜、飲食店でアルバイトを始め、9月末には学校を辞めて通信制高校に編入した。ただ、バイト先でも人間関係は築けず、家にいる時間はひたすらゲームに逃げ込んだ。
「バイト先が最寄り駅から2駅だったので通えたんです。それも帽子とマスクで完全武装していました。小中学生のときの友人のお母さんに会うのも、近所の人に心配されるのもイヤだった。そんな生活をしていると、学校で会う人って友人だと思っていたけど、実は環境が一緒だっただけで、僕には気の合う友達なんていなかったんだ、とまた虚(むな)しい気持ちになって……」
アルバイト代はゲームや本に消えていく。家庭でもバイト先でも、ほとんど誰とも話さない生活(社会的ひきこもり)を2年以上、送っていたが、高校3年生になると、さすがにこのままひきこもっていていいのかと考えるようになった。