千鳥。2000年結成。そこから早くも2003年にM-1の決勝に進出。最下位に沈むものの、大阪の若手芸人の中で不動の人気を獲得した。その後、関西での実績を携え、2012年に東京へ。勢いある若手芸人を集めた全国区のバラエティー番組のレギュラーにもなった。2人の快進撃がここから始まる――はずだった。

 東京進出後の千鳥は、チャンスを逃し続けていた。獲得したレギュラー番組は、次々と打ち切られていった。「千鳥が絡むと番組が終わる」周囲からはそうネタにもされた。サバンナ・高橋の秀逸な例えを借りれば、「巨大な台風が上陸したと思ったら、いつの間にか熱帯低気圧に」なったかのようだった(テレビ朝日系『アメトーーク!』2014年9月4日)

問題児だったのは大悟じゃなくノブ

 東野幸治が『アメトーーク!』に持ち込んだ企画「帰ろか…千鳥」が放送されたのは2014年9月4日の上京後、約2年が経ったころだった。そろそろ大阪に戻ったらどうか、そんな勧めが、自虐的な笑いになっていた。

 このとき、“問題児”として扱われていたのはノブ(40)だった。大悟(39)のトークは面白いが、ノブが足を引っ張っている。そんな対比を笑いに変えながら進行した番組の最後、東野は次のようにオチをつけた。「大悟、東京でがんばれ。ノブ、大阪に帰るぞ」(テレビ朝日系『アメトーーク!』2014年9月4日)

 しかし、現在ではどうだろう。全国ネットを含む複数の番組で、ノブは進行役を務めるに至っている。千鳥のブレイクは、彼の「クセがすごい」というツッコミからだった。だとしたら、今のような人気芸人になったきっかけはノブが握っているといえる。

風向きを変えた「千鳥」

 ノブは後に、自分たちのターニングポイントは2015年末だったと振り返っている。その年にあまり活躍できなかった芸人たちが、「反省会」と題して集められた『アメトーーク!』(テレビ朝日系『アメトーーク!』2015年12月10日)に出演した千鳥は、仕事がないといった“負けざま”を積極的に晒した。

 ノブいわく「そこで初めて手応えあるウケ方」をし、そして「初めてカチッと音がした」(テレビ朝日系『日曜もアメトーーク!』2018年2月11日)

 ここから徐々に、千鳥をめぐる風向きが変わり始めた。確かに開き直りも功を奏したのだろう。ただし、ノブのツッコミにもこの前後で変化が起きていた。