すべては自分に必要な経験だった
あれもやりたい、これはどうだろうと、次々にアイデアが浮かんでは行動に移す沢田を支えるのは、マネージャーの川羽田晶さん(45)。
「自分の歌を聴きたい人が1人でもいれば、聖子さんは全国どこにでも行きたいと考えています。そんな思いを叶えるため、物販を合わせてなんとかやりくりしています」
ファンをまた騙してしまうのではないかと躊躇する沢田を説き伏せ、川羽田さんがファンクラブを再開したのも活動を経済的に支えるためだ。
デビュー40周年を記念した39作目にあたるCD『NEUTRAL』は3000枚をプレス。大手レコード会社に所属していたときとは比べものにならないが、沢田に不満はない。契約や販売にまつわるグレーな部分が払拭され、すべてを自分で把握しているからだ。ショップには卸さず、ライブ会場やホームページを通じ、自分でつくったものを自分の手で売る。沢田にはそれが心地よくてしかたない。
「たくさん悔しい思いをしてきて、ようやく猿回しの猿ではない私になれました。すべては自分に必要な経験で、悲しい思いをしたからこそ強くならざるをえなかった。母に感謝。神部さんにも元旦那にも感謝です」
デビューのときから変わらず、いまも沢田が歌い続けているのを知ったファンが、ライブやラジオの公開収録に足を運ぶ。デビュー以来のシングルをすべて並べたパネルを手作りするファンがいれば、名前と写真を入れた幟を贈ったファンもいる。寿司職人の顔を持つファンは、毎回楽屋に差し入れを持参する。会場の準備や受付は友達が集まって手伝い、沢田も自ら雑用を進んでやる。そこにはレコード会社をとうに辞めた伊藤さんの姿もあった。
「聖子ちゃんは努力と信念の人だと思います。歌うのがなにより好きで、ファンのことをずっと大切にしてきました。だからこそ消費社会のこの世の中で、ずっとやってこられたのだと思います」
“イルカの妹”と呼ばれ、若いころは「清楚」なイメージで売っていたが、実は正義感の強い姉御肌。行儀の悪いファンがいれば面前で叱りつけ、ライブ後にずらりと行列ができるサイン会では人生相談が始まる。前向きな沢田を慕うファンのつながりが全国に広がり、職を失った仲間に「一緒に働かないか」と声をかける温かな関係も生まれている。
「いまがいちばん楽しい!」
そう言って沢田は屈託のない笑顔を見せる。
「それもこれも身の丈に合ったことをやっているからなんだと思います。ありのままの自分でいればいい。それ以上のことはいま望んでいません。自分をネタにファンの方々が盛り上がったり、友達がライブを手伝いに来てくれたり、素直に楽しくてなりません」
かつて「悲しむ程まだ人生は知らない」と歌った沢田は、いくつもの悲しみを乗り越えて自分ならではの音楽を奏でようと走り続けている。
取材・文/増田幸弘(ますだ・ゆきひろ)◎フリーの記者・編集者。スロヴァキアを拠点に、国内外を取材。おもな著作に『独裁者のブーツ イラストは批判する』(共和国)、『イマ イキテル 自閉症兄弟の物語』(明石書店)、『プラハのシュタイナー学校』(白水社)などがある。