リバプールに加入した日本代表の南野拓実などとともに、'11年開催のU─17のW杯に出場。大学卒業後の'16年にアルビレックス新潟に加入し、Jリーグデビューするも同年、急性白血病が発症したことで戦列離脱を余儀なくされた早川史哉さん。
闘病生活を経て、昨年10月に公式戦に復帰するまでの3年7か月を綴った著書『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』(徳間書店刊)が好評だ。発売前に重版が決定しただけでなく、11月にも重版されるなど、サッカーファン以外にも読者層が広がっている。
ショックよりも安堵感のほうが大きかった
「サッカーしかしてこなかったけど、サッカー本にするつもりはないことは担当編集や共同制作者であるライターさんには伝えたんです。きれいごとだけではなく、病気になってからのことを包み隠さず書きました」
開幕戦のスタメンでデビューするも、すごい疲労感などで思うようなプレーができずに悩んでいた早川さん。体調がすぐれないため受けた血液検査で数値が異常だったため病院で検査を受けることに。そして、医師に「白血病の疑いがある」と申告された際には、ショックよりも安堵感のほうが大きかったと振り返る。
「サッカー選手としては身体がだんだん動かなくなっていくほうがショックで、サッカーが嫌いになりかけたほど。だから、その原因が病気だということがわかって、ホッとしたというのが最初の気持ちでしたね。
ただプロスポーツ選手として、普通の人より健康には気を遣っていたので、まさか自分が、この年齢でこんな大変な病気になるとはまったく思っていなかったです」
再検査をした際に急性白血病と診断された早川さんは、1年以上、病室で過ごすことになってしまう。
「病気の苦しさからベッドからなかなか動けず、トレーニングどころではなかったので、筋力がどんどん落ちていって……。アスリートの身体から病人の身体になっていくのを目の当たりにしてショックでした。治療の関係で外に出られない期間も長かったのもつらかった。
当たり前の日常を奪われた感じだったので。だから入院して3か月ほどして外出できたときは、太陽を浴びられる、風を感じられるといった些細なことが素晴らしいことだったんだと気づかされました。と同時に、筋力の低下で以前のように動けない自分の身体にもショックを受けました」