自分のことを世界一バカやと思っていた
満さんは学校から専門機関の診断を仰ぐよう言われた。
「それで学校の先生と一緒に病院に行くと、会った医者がうんもすんもなく、“広汎性発達障害と高機能自閉症やな”と。小学校1年の終わりぐらいにわかったんです」
憲満さんが抱える広汎性発達障害とは、パターン化した行動や特定のものに強いこだわりを見せる障がいの総称で、アスペルガー症候群とも称される高機能自閉症には、人とうまく接することが苦手という特徴がある。
積み木やブロックへの強い執着や、恥ずかしさで教室に入っていけなかったこと。さらには上靴の左右逆も、何かに気をとられるとほかはどうでもよくなってしまう障がいゆえのものだったのだ。
わが子に障がいがあることを知らされた父・満さんといえば、
「“やっぱ、そうやったんやな”とは思った。ショックはありましたね。“これからどうしたらいいのか……?”と。冷静を装っていただけでした」
憲満さんは自分自身の障がいをこんなふうに言う。
「小学校のときは障がいとか自閉症とかわかりませんでした。障がいがあるとわかって中学で養護学校に入っても、どこまでが、わがままでどこからが障がいなのかがわからなかった。わかるようになってきたのは物心がつき始めた高校生のとき。それまではホンマに自分のことを世界一バカやと思っていたけれど、障がいの影響があったんやなあと、わかった」
そして、こう続ける。
「今でも他人の視線や“どう見られているか”がすごく気になっています。これはもともとの性格だから直らないです。でも普通以上に気にしすぎたり情緒不安定になったりは、性格というよりは、障がいなんかな、と。性格もあるし障がいもあるという感じかな、わかりやすく言えば。病院でもボーダーライン上で、軽度だと言われています」
満さんはそんな憲満さんを医者の指導のもと、まずは薬によって世間に適応させようとした。向精神薬として今も広く処方されているリタリンである。
法律で厳重管理されているこの薬は、たしかに抜群の効き目を発揮した。
朝、1錠飲ませれば憲満さんの多動や注意欠陥がおさまり、教室で落ち着いて授業に参加していられる。が、効き目が切れればパニックを起こす。そこでまた1錠。満さんが、
「その落ち着いた状態で学校から家に帰ってくると、だいたい4時前後。するとちょうどそのころ(薬の効き目が)切れるんです。切れるとまたパニック。抑えていたぶんが爆発する」
強力な向精神薬であるリタリンを夕方以降に服用させると、脳が活性化され、夜、眠ることができず、翌朝起きることができなくなる。小学校中学年には、学校に行けない時期もあった。
さらには同じ広汎性機能障害や高機能自閉症であっても、障がいの表れ方は百人百様で、“こう対応すればよい”というセオリーはない。
「そんな中でどう対応していくかですよね。うちのやり方とか、家族のやり方で(憲満さんを)包み込まなければダメだと思いました。人それぞれ家庭の事情がある中で子育てするのと同じで、うちでいちばんいい方法を考えるしかなかったですね」