被災地の小学生から贈られた言葉

 視覚障害者との交流はいまもつづく。福島市内で鍼灸院を開く中途失明者の星純平さん(44)はそのひとり。3・11の日、電気が5日間、水道が7日間も止まるなか、ラジオから流れる大和田の声に家族と耳を傾けた。

「アナウンサーの仕事は、目の前にきた原稿を読み上げるだけだと思っていましたが、“いまきたこの被災者の人数は正確かどうかわからないので読めない”と言っていました。すごく人間味のある人だなと思いました」

 フルマラソンに出る星さんを取材するため、はじめて実際に会った日のこと。あまりに走るのが速いものだから、「本当は目が見えているんだろう」と大和田は口にした。星さんはびっくりしたという。

「親が腫れ物でも触るように接してきたのとは対照的でした。腹が立ちましたが、視覚障害者と長い付き合いがあるのを知り、障害があるからといって区別しない大和田さんの真意を読み取りました」

仕事部屋でインタビューを編集。絆を深めてきた県民からの言葉や取材の軌跡がうかがえる掲示物で壁が埋め尽くされていた
仕事部屋でインタビューを編集。絆を深めてきた県民からの言葉や取材の軌跡がうかがえる掲示物で壁が埋め尽くされていた
【写真】家族を亡くした被災者にインタビューする大和田さん

 震災報道を通じて県民から厚い信頼を集める大和田に、2019年、参議院選挙への出馬要請があった。国政に出ればこれまでとはちがうかたちで、被災者や被災地への支援ができる。最後の最後まで悩みながら、周囲に相談した。そのひとりである川内村村長の遠藤さんは「スケベ根性を出すな」と止めたと話す。

「大和田さんの判断基準は常に被災者の立場、視聴者の立場にあるのだと思います。政治的に中立を守り、特定の組織に忖度することなく、自由に物を言ってきたからこそ共感を集めてきました。リスナーが信頼するのはラジオ局ではなく、大和田さん個人なんです。政治家になって一方向からしか発言できなくなるとしたら、彼らしくないかなとぼくは思いました

 大和田も、かつて視覚障害者を支援する施設の館長に言われた言葉を思い出していた。

「学校の先生が教育を見失うように、政治家が一般国民の気持ちがわからないように、ひとつの世界にどっぷりつかってはだめなんですね」

 大和田の仕事部屋には、2013年度日本民間放送連盟賞を受賞したとき、被災地の小学生から送られた手紙が額に入れられ、飾られている。

 そこには手書き文字で、「伝えることの大切さ 伝わることのすばらしさ」とある。大和田は子どもに贈られた言葉の意味を噛みしめ、全国でおこなう講演のタイトルにしている。

 福島県のおかれた状況が、全国にきちんと伝わっていないのを大和田は歯がゆく思ってきた。帰還困難区域以外では、普通の暮らしが変わらずあるにもかかわらず、震災直後のイメージを拭えずにいる人が少なくない。まるで日本が福島と、それ以外で分断されているかのようだ。

「原発でなにか問題が生じると、メディアは大きく報じますが、改善されてもまず伝えません。人々の頭のなかで時間がいつまでも止まったままになりがちなのはそのためです。放射線についての科学的な知識はいまだ周知されておらず、福島に来たことのない政治家が的はずれなことを言い出すこともあります。

 こうしたなか、私たち福島県民には、原発事故を正しく、県内にも県外にも、そして世界にも伝えていく責任があります。でも、いまだに放射能と放射線の違いがわからない福島県民もいる。これから福島の復興に必要なのは教育ですよ

 現場に行かなければなにも伝えられないと考える大和田は、この3月にも3回に分け、10人あまりの学生を原発の視察に連れて行く。3・11を原体験にもつ若者の発信は真摯で、社会がその声に耳を傾け、認めていくことが真の復興につながると期待してやまない。大和田は「伝える」の先にある未来を見据えている。


取材・文・撮影/増田幸弘 ますだ・ゆきひろ フリーの記者・編集者。スロヴァキアを拠点に、国内外を取材・おもな著作に『独裁者のブーツ イラストは抵抗する』(共和国)、『イマ イキテル 自閉症兄弟の物語』(明石書店)、『プラハのシュタイナー学校』(白水社)などがある