離婚届を訴訟で差し止め

 その言葉どおり、プライベートでの裕也さんは45年間近く、夫婦として、また親としても矛盾を抱え続けたことは広く知られている。

「'73年に希林さんと結婚したものの、裕也さんの度重なる暴力と浮気が原因で1年余りで別居。その真っただ中、希林さんはひとり娘の也哉子さんを出産したんです」(当時を知る情報番組スタッフ)

 也哉子が生まれた5年後の'81年には、裕也さんが無断で離婚届を提出するという騒動も。希林さんは訴訟を起こして離婚を無効にしたが、その後も裕也さんは、希林さんや也哉子とひとつ屋根の下に住むことはなかった。

でも、何が起きても也哉子さんの前では1度も裕也さんを悪く言わなかったそうですし、年に1度、“父の日”には必ず也哉子さんを裕也さんに会いに行かせたと」(同・情報番組スタッフ)

 一方の裕也さんも、つかず離れずの関係をずっと続けた。40年近く、裕也さんのバンド『内田裕也&トルーマン・カポーティ・ロックンロールバンド』でギタリストを務める三原康可氏は、ある夜の出来事をこう述懐する。

ベロベロに酔った裕也さんが“お前、家まで送れよ”と、希林さんと也哉子さんが住む家に行こうとしたことがあったんです。一緒にその家へ向かって夜道を歩くんですが、1時間歩いてもたどり着かない(苦笑)。顔を出すのが照れくさくて、わざと酔ったフリをしていたのかもしれません。“送ってくれ”というのも、ひとりで帰ることの照れ隠しだったのかな……

 '95年に也哉子が俳優の本木雅弘と結婚し、希林さんと同居するようになると、以前よりも家族の距離は縮まった。

「希林さんと2人でちょくちょく食事や喫茶店に出かけたり、ハワイや京都へ一緒に旅行に行ったりすることもあったと聞いています。でも、それでも結局、最後まで一緒に住むことはありませんでしたからね……」(音楽関係者)

 離婚もせず、一緒に暮らしもせずに40余年─。そこには、夫婦にしかわからない絆がたしかにあった。

希林さんに“裕也さんのどこが好きなの?”って聞いたことがあるんです。そうしたら“あの人、誰に対しても平等だから”って」(三原氏)

 裕也さんが亡くなるまで住んでいた自宅マンションは希林さんの持ち物だった。

「裕也さんの生活費のほとんどは希林さんが面倒を見ていたようです。希林さんは“私がいついなくなっても彼が困らないように”と、お元気なうちに部屋の名義をお孫さんに引き継がれた、と聞いています」(前出・音楽関係者)