「仕事の合間を縫って多いときには月に2~3回も、プライベートで熊本県阿蘇市内の動物園で暮らしていたパンくんに会いに行っていました。志村さんが、あまりに頻繁に阿蘇市内に出没するので、地元では“あのマンションの最上階に志村の愛人が住んでいる”なんて噂が立ったほど」(番組制作会社スタッフ)
そうした優しい眼差しは、番組のレギュラー出演者やゲスト出演者にも注がれていた。
「志村さん、収録の前には、前室でかならずその日の全出演者と車座になって“ミニ懇親会”をするのが慣例になっていたんです」(同・番組制作会社スタッフ)
15分、長いときには30分ほども行われた。
「もちろんアルコールはナシですよ(笑)。出演者みんなでお茶を飲んで、進行の確認をしながら志村さんが出演者に“最近、何か面白いことあった?”と話をどんどん脱線させていくんです。そうやって、ひとしきり、みんなで大笑いしてからスタジオに移動して収録を始める。そうすることで、ゲストたちの緊張もほぐれるじゃないですか。話しやすい雰囲気を、志村さん自らが音頭をとって作ることで番組を盛り上げよう、という気遣いなんですね」(同・番組制作会社スタッフ)
ミニ懇親会には、こんな意味もあったという。」
「志村さん、そういう時間にも共演者ひとりひとりをちゃんと見てるんです。“(ハリセンボン)春菜は今日ちょっと元気ないな”とか“タカトシ、調子いいな”とか見ている。いつもと雰囲気がちょっと違ったり、気になった人には収録の合間や終わりにポンと声をかけたりするんです。スタッフ以上に本当によく見ていて、常に気を配っていました。そうした志村さんの言葉や姿勢に、救われた共演者は多かったと思います」(同・番組制作会社スタッフ)
相葉が涙した志村さんの言葉
もちろん、相葉もそのひとり。番組の途中、相葉は「あるとき志村さんから、かけられた」言葉を自ら明かした。
「“焦るんじゃないよ。相葉くんには『志村どうぶつ園』があるでしょ? ドラマは3か月で終わるけど、『志村どうぶつ園』はずっと続くから。俺が続かせるからね”って言ってくださって……すごく……救われました……」
そう話し終えると、相葉は、とうとう大粒の涙を流した。
番組が始まった2004年当時、嵐の各メンバーはグループ活動と並行しながら、俳優としてのソロ活動を軌道に乗せ始めていた。
「二宮さんは『南くんの恋人』、松本さんは『花より男子』、櫻井さんは『木更津キャッツアイ』、大野さんも少し時間はかかりましたが『怪物くん』で当たり役をつかんで、映画化につなげるヒット作にしました」(テレビ誌編集者)
だが、彼らを横目に、相葉だけは俳優活動が思うようにいっていなかった。数年間は、俳優としてのよいオファーも届かない状況に─。