強いメンタルの裏にある優しい素顔

 それでも、持ち前の強いメンタルは当時から健在。'92年には、

私がワイドショーを変えます

 と豪語して『3時にあいましょう』(TBS系)のキャスターに就任した。が、その実力には疑問符が。たとえば、前出の『スーパーJOCKEY』で彼女は「がきてき」という言葉を連発したことがある。何かと思えば「画期的(かっきてき)」をそう読むと勘違いしていたようだ。

 しかも、その数週間後にもまた「がきてき」を連発。こうした勘違いは誰にもあることだが、周囲から指摘されなかったのか、あるいは、あのキャラだから周囲も指摘しにくかったのだろうか。

 とはいえ、キャスターに転身した背景には、彼女なりの「本気」があった。台湾人の父を持つことから、'89年に中国で起きた天安門事件にはショックを受けたという。同世代の若者が自由のために権力と戦う光景をテレビで見て「涙が止まりませんでした」と語っているほどだ。

 そんなキャスター・蓮舫の姿で印象的だったのが、'92年4月に尾崎豊が26歳で急死したときのこと。彼女は嗚咽しながら、

日本の国民万人にね、知られている歌手ではなかったけど、若い子の認知度はすごいあった人で、私、個人的に知ってたんですけども、ごめんなさい、びっくりして……

 と、哀しみを吐露した。尾崎は青学の高等部を中退してデビュー。彼女はその2学年後輩にあたるから、何らかの接点があったのだろう。

 こうしたエピソードからもわかるように、彼女は人情家で、また、特に学歴差別者というわけでもなさそうだ。むしろ、彼女自身にも、グラドル出身という経歴がつきまとう。つまり、根っからのエリート政治家ではないわけで、もう少し温かい目で見るべきかもしれない。そう、芸能界・卒でも「頑張っておられる」のだから。

PROFILE
●宝泉 薫(ほうせん・かおる)●作家・芸能評論家。テレビ、映画、ダイエットなどをテーマに執筆。近著に『平成の死』(ベストセラーズ)、『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、『あのアイドルがなぜヌードに』(文藝春秋)などがある。