2020年4月29日。ロンドン五輪フェンシング銀メダリストの三宅諒選手が、『note』(文章や写真、音楽、映像などさまざまな形態の作品を投稿できるウェブサービス)における自身のブログに《明日からバイトを始めます》というタイトルの記事を掲載し、話題となった。そこには「アルバイトを始めるいちばんの理由は他でもなく、お金がないからなんです」という切実な思いが綴(つづ)られ、お弁当などのデリバリーを行う『Uber Eats(ウーバーイーツ)』の配達員として働くことが記されていた。
三宅選手と私は、慶應義塾大学の先輩・後輩という間柄。1か月ほど前、プライベートで“オンライン人狼”(言葉巧みに騙し合う、多人数参加型の推理ゲーム『人狼』のオンライン版)をして遊んだ。その数日後「メダリストがアルバイト開始」というニュースがネットを駆けめぐったため「もしかして一緒に遊んだ日も、本当はかなり悩んでいたのだろうか」などと勘ぐってしまい、連絡をしていいものか正直、わからなかった。
しかし、そこから1か月近く経っても、日本では新型コロナの影響や五輪の中止について、スポーツ選手の声が聞こえる報道をあまり目にしない。しかし、三宅選手のことが海外で多く取り上げられていると聞き、しっかりと本人に話を伺う必要があると感じて連絡を取った。「アスリートファースト」がうたわれ東京五輪が1年延期されたが、これを受けて現役アスリートらはどのような事態に陥っているのか。三宅選手の現状や心境を、詳しく語ってもらった。
自らの意思でスポンサー支援をストップ
まず、彼がアルバイトを始めた本当の理由について「スポンサー支援を打ち切られたからだ」とミスリードをしている人も多いが、それは違う。三宅選手は、'12年ロンドン五輪フェンシング男子フルーレ団体で銀メダルを獲得し、東京五輪にも出場することを目指してトレーニングを積んでいた。しかし、選考の対象となる大事な試合が新型コロナで中止になってしまい、代表選手も決まらないまま、東京五輪の延期が決まった。
この時期は「とにかく精神的にキツい。アスリートとして自分に何ができるのかと、毎日のように悶々(もんもん)としていた」(三宅選手・以下同)という。社会人アスリートの場合、会社に所属するか、自分でスポンサーを見つけるかという2パターンが多い。三宅選手は「'18年の結果がよかったので、東京五輪を目指せます」と自ら売り込み、'19年度から不動産会社、保険会社、ガス会社の3社を個人スポンサーとしてつけていた。
しかし、三宅は今年1月の入金を最後に、スポンサーからの支援を断った。
そもそも、フェンシング選手が活動するにあたっては、いくらくらいお金がかかるのだろうか。五輪代表をかけたレースは国内のみに止まらず、国際大会も多く開催される。五輪延期が決定した3月24日、三宅選手はツイッターに、日本フェンシング協会から届いた請求書の写真をアップした。イタリア、フランス、エジプトで試合や合宿などを行った費用が67万円を超えており《これは高い。 しばらく払い続けてるけど、これは気合入れないと続けられないな。 #自己負担 #突かれる心》という自身のコメントが添えられていた。
「また、フェンシングの場合、競技費用として年間250〜300万円ほどかかります。生活費も含めると、競技を続けていくには最低でも年間500万円は必要ですね」
この額を担保するためのスポンサーを自分で見つけなければいけないから大変だ。ただ、三宅選手は新型コロナで人々がさまざまな制限を設けられ、自分たちの活動拠点である練習施設も閉鎖されているなか、お金をもらい続けることに疑問を抱き始めたという。
「この状況下で無責任に“もう1年ぶん出資してください”というのは企業にとってもよくないだろうし、自分にとっても、プレッシャーが大きすぎました。代表に選ばれるかも分からない、東京五輪が開催されるのかも分からない。“結果を出します”と売り込みにいったのにも関わらずこれでは申し訳ないと思い、スポンサー支援をいったん止めて、状況が明確になるまで更新を保留してもらうことにしました」