つらい体験を共感の力へ
大沢さんは、その後も仕事を続けることで少しずつ本来のエネルギーを取り戻していった。2007年、院内にがん相談支援センターができ、大沢さんはその運営を任されることになった。ハラスメントからも解放された。
「夫を亡くしたことで、家族を亡くしてしまうことの大変さ、大好きな人が死んでしまった後のつらさを、私はいままで本当にはわかっていなかったと気づくことができました。不思議ですが、亡くなった夫の存在をふと身近に感じることもありました。それ以来、病状が悪化していく患者さんとも、なぜか話しやすくなったんです」
患者さんとのやりとりのひとつひとつや自身の感じ方も大きく変わった。がんになって患者会に参加し、患者サロンに参加したことで助けられた経験、配偶者を亡くした遺族の会で感じた経験は、院内の患者サロンや患者会の意欲的な立ち上げにもつながっている。
「信頼できる相談相手を探す」「つらさを我慢しない」
この2つを何より大事にしてほしいと伝え続けている。
翌年、現在、大沢さんにとっての大きな活動の軸になっているホープツリー(Hope Tree)という団体も立ち上げた。
当時、親ががんになった子どもの心のケアは日本ではほとんど行われていなかった。その分野の最先端、アメリカのM.D.アンダーソンがんセンターで実践されていた取り組みを日本に紹介した講演会をきっかけに、「親が病気になっても、子どものたくましい力を育みたい」「病気になって子育てに自信がなくなっている患者さんを支えたい」と考え、実践する仲間が集まった。
創設から13年、ともにホープツリーを支えてきた四国がんセンターの心理療法士、井上実穂さん(56)は大沢さんについてこう語ってくれた。
「彼女は自由な発想とアイデアを持って、権威や権力にもとらわれず、何にも縛られずに行動できる人です。やりたいことを実現するパッションの強さ、弱っている人に対する使命感は誰にも負けない。おかげで周りはハラハラすることも多いのですが(笑)。ホープツリーはメンバーそれぞれが本業の傍ら自分の強みを生かして支え合い、活動しています」
井上さんは大沢さんのプライベートな背景は知らずに一緒に活動していたが、数年後に大沢さんの背景を聞いたとき、「彼女はこの活動をするために、これまで大変な体験をしてきたのではないか」と思ったという。
ホープツリー主催の医療者対象の講演会や講座には、全国から専門職が集まってくる。