「服部先生からその昔、1枚の写真を見せてもらったことがあります。学生服姿の彼の後ろに立つ、アメリカの軍服を着た日系兵士とのツーショット写真でした。
“これって誰ですか?”と私が聞いたら、ニコッと笑って“ジャニーだよ、ジャニー喜多川!”と。驚きすぎて開いた口がふさがりませんでしたね」(服部さんの知人)
ジャニーさんと服部さんの関係は?
ジャニーさんは言わずとしれたジャニーズ事務所の創業者。なぜ関わりがあったのかというと、
「1931年にアメリカの日系2世として生まれたジャニーさんは、第2次世界大戦後にロサンゼルスに住んでいました。ちょうどそのころ、父の良一さんが笠置シヅ子さんとアメリカツアーを行ったのですが、その際に英語の通訳を兼ねて現地でお世話をしてくれたのが、若き日のジャニーさんと、姉のメリー喜多川さんだったんです。
公演が終わった後も家族ぐるみの交流が続き、ジャニーさんとメリーさんは日本に帰国。しばらくは服部家に居候していたといいます。“朝起きると、なぜか2人がいるんだよね”と冗談まじりにボヤいていましたのを思い出します」(同・服部さんの知人)
偶然に出会った2人だが、エンターテイメントを愛するという点では同じだった。
「青春時代を戦争で過ごしたジャニーさんは、ミュージカル映画『ウエスト・サイド物語』を見てエンターテイメントの世界に関心を抱き『ジャニーズ事務所』を設立しました。彼が手がけた日本初の男性アイドルグループ『ジャニーズ』のデビュー曲『若い涙』の編曲は服部さんが務めています。旧知の仲もあって信頼していたんでしょうね」(前出・音楽ライター)
ジャニーさんも、1968年にデビューした『フォーリーブス』以降はテレビを意識したプロモーションで一世を風靡。70年前の2人の出会いが、日本のポップス界に大きな影響を与えることになった。
「音楽の話で盛り上がることが多かったといいますが、その中では“一緒に日本のエンターテイメントを盛り上げよう”という約束もしていたそうです。よき友人であり、よきライバルだったんでしょうね」(前出・服部さんの知人)
今ごろは天国で、ジャニーさんと音楽談議に花を咲かせているかもしれない。