具志堅が自ら育てた“金の卵”が離反した翌月には、ジム設立当初からいたベテラントレーナーも退職。
「“資金繰りが苦しいから辞めてくれ”と、具志堅会長から直々に話があったようです」(前出・ジム関係者)
どうも穏やかではない状況だが、ジムの現状を慮るのは、かつて沖縄から上京したての具志堅が下宿をしていたとんかつ店の店主だった卯木照邦さん。
「ジム経営も簡単ではない。月謝が1万円で、練習生が100人いても月100万円。田舎でタダみたいな土地ならまだしも、都内では難しいですよ。タレントの収入で赤字を補填していたんでしょう」
だが、取材をすすめると、どうやら少し事情が違うようだ。そこには具志堅の妻による影響もあったようで……。
具志堅・妻の根性論に呆れる生徒
世界チャンピオンの内藤大助や比嘉選手を育てた野木トレーナーが内情を明かす。
「比嘉の減量失敗の責任を負って、慰留もお断りさせていただき、自ら希望して退職をしましたが、13年ほど所属していたジムの閉鎖は寂しいですね。私がいた当時は特段、問題なかったのですが……」
どうやら、野木さんが退職した後に変化があったようだ。
「選手たちから話を聞くと、どうも奥さんと女性マネージャーの現場介入が過剰になっていたようです。沖縄から出てきたばかりで礼儀が欠けている練習生に対し、バカにして見下すような態度をとる。そういったことも指導していくのが、ジムとしての役目なのですが……。結果、選手たちはジムの女性スタッフを嫌いだし、会話を避けるように。しかし、当の奥さんたちは何が原因かわかっていなかったようです。そこに問題の本質があったと思います」(野木トレーナー、以下同)
介入は、選手たちの練習方針にまで及んだ。
「今や一流選手はみなやっているようなフィジカルトレーニングを取り入れたいと選手たちが言うと、奥さんは具志堅会長の若いころの写真を持ってきて“会長はサンドバッグを一生懸命、打って身体を作ったんだから、アナタたちも同じようにやりなさい”と言ったそうです……。時代錯誤の根性論に、あきれて何も言えなかったそうですよ」